皐月に門松

paperwalker*1「めでたくもあり、めでたくもなし」https://paperwalker.hatenablog.com/entry/2024/05/15/170000


この方は先月(4月)に誕生日を迎えられたのだという。


誕生日になると必ず思い出す言葉がある。

  門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

これは一休宗純が作ったとされる和歌である。あの頓知でお馴染みの一休さんだ。(ちなみに「門松は」の部分が「正月は」や「元日は」になっているものもある)

私と同世代の人なら、子どもの頃にアニメの『一休さん』を見ていたという人も多いだろう。上の和歌もそのアニメの中で知ったものだ。

昔はいわゆる「数え年」だったから、いまのように一人一人が誕生日を迎えて一つ歳をとるのではなく、新年になったら皆がそろって歳をとっていた。そういう意味でも元日はおめでたい日だったのだ。

しかし一つ歳をとるということは、一歩死に近づいたということでもある。そう考えると単純にめでたいとも言えなくなる。

また一休には、元日に髑髏(しゃれこうべ)を乗せた杖をつきながら町を歩いたという逸話も残されている。せっかく皆がおめでたい気分に浸っているのに、そこに冷や水を浴びせるのである。そんなに浮かれているけれど、死はお前のすぐそばにあるのだぞ、と。

もちろん一休さんだってただの嫌がらせや天邪鬼でそんなことをやったわけではないだろう。

西洋で言うところの「メメント・モリ」(死を忘れるな)みたいな感じだろうか。

「門松」って、一休宗純が生きていた室町時代半ばには既に存在したのだろうかと不図疑問に思った。まあ、平安時代後期にはあったらしい。院政期の歌人、藤原顕季*2の歌に、


門松を営み立つるそのほどに春明け方に夜やなりぬらん


という歌がある。また、『梁塵秘抄』にも


新年春来れば門に松こそ立てりけれ松は祝ひのものなれば君が命ぞ長からん


という今様が収録されている(「門松の起原についての流布説の出鱈目」*3*4
さて、「門松の起原についての流布説の出鱈目」に曰く、


門松とは、正月に家の門戸などに立てられる松や竹を用いた正月飾のことです。この門松の起原について伝統的年中行事の解説書やネット情報を読んでみると、まずほとんどが信頼できないものばかりです。まずウィキペディアには、「古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代(よりしろ)という意味合いがある。・・・・神様が宿ると思われてきた常盤木の中でも、松は『祀(まつ)る』につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となって根付いていった。」と記されています。

 依代とは神霊が出現するときの媒体となるもののことで、早い話が門松は年神を迎えるための目印であったというわけです。しかし神聖な樹木と見なされたものは、古典的文献を探せば松の他にも杉・槻(つき)(欅のこと)・椎(しい)・柏(かしわ)・楢(なら)・榊(さかき)など、いくらでもあります。松が「祀る」を掛けているので正月飾りに選ばれたとされていますが、そのことを示す文献史料を見たことがありません。また梢に神が宿るという理解が広く行われていたことを示す文献史料もありません。門松というものが出現する平安時代に、松が年神の依代となっていたという文献史料など何一つ見たことがありません。近現代の民間伝承として古老がそのように語ったということはあるでしょうが、門松は平安時代には出現しているのですから、起原という以上は平安時代の史料的根拠でなければ、検証のしようがないではありませんか。

門松の年神依代説は、民俗学者が提唱し始めたことです。和歌森太郎という高名な学者は、その著書『花と日本人』の中で、次のように述べています。「門松は、いわゆる年(歳)神とか歳徳神の祭りを、年棚、歳徳棚を前にして行うために、門口や棚の上に、その神霊を依りまさしめる代(しろ)として据え立てたものである」。この書物は雑誌『草月』に連載された文章をまとめて単行本としたものであるため、生花に関係ある多くの人が読みました。そのためその影響は大きく、門松の年神依代説は一気に流布するようになりました。このような門松理解を、伝統的年中行事解説書の著者達は大学者の説としてありがたく頂戴し、それを参考にするネット情報の筆者達は、そのままコピーしているのです。

和歌森太郎『花と日本人』*5てそんなに影響力の強い音だったのね!ところで、「一休宗純*6と謂う。「宗純」というのは俗人にとっての本名(諱)に中る戒名であり、小僧として出家したときは「周建」という名前だった。17歳の時に「宗純」と改名。「一休」という道号を得たのは20歳のときである*7。何が言いたいのかと言えば、小僧の「一休さん」というのはちょっとあり得ないのだった。日吉丸に、おい秀吉! と言っても、誰のことを言っているのか気づかなかっただろうというのと同じだ。
「門松」に戻る。「門松」が「冥土の旅の一里塚」なのは死すべき存在としての人間にとっての話だろう。他方で、アルフレート・シュッツが「世界時間(world time)」と呼ぶ時間性の準位*8を考えてみると(Cf, The Structure of the Life-World)、そこにおいては「元日」というのはエンドレスな反復のひとつの折り返し点、或いは「一休」にすぎないのだった。