「年のうちに 春はきにけり ひとゝせを 去年とやいはむ 今年とやいはむ」

「暦と自然」http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20120512/p1


タイトルに掲げたのは『古今集』の在原元方の歌。

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

数年前に

呉艶、呉潔瑾、兪立厳「今年“立春日”出現両個版本」『東方早報』2009年2月4日


中国で出回っているカレンダーには、2009年の「立春」を2月3日とするものと2月4日とするものがある。これはグリニッジ標準時(「世界時」)によれば「立春」は2月3日16時50分で、北京時間によれば2月4日0時50分であるため。
さて、1月26日に始まった丑年(己丑)は2010年2月14日に終わるが、1年のうちに「立春」が2回現れることになる。これを「一年両頭春」と呼ぶ。「己丑」の「両頭春」は60年に1度しかなく、民間伝承によると、この年は恋愛・婚姻関係が不安定となり別れのリスクが高くなるという。また、今年は「立春」だけでなく、閏月のため、5月も2回あることになる。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090204/1233773749

と書いたことがある。昔は日本人も「立春」を気にしていたんだと妙なところで感心する。
さてmatsuiism氏は串田純一「「ファンタジーの再検討」第4回研究会「暦の問題を通して近代の古今集理解を問い直す」 」というテクスト*1を援用している。串田氏、在原元方の歌に触れて曰く、

正岡子規による称揚以来、近代日本文学は万葉集を最高の古典とみなし、またしばしば実作の模範ともしてきた。こうした態度が所謂「文学的・美学的」問題と並んで国民国家形成という時代の要請に強く規定されていたということは近年広く認識されつつあるが、他方で、この万葉の対照項として極めて低い評価を与えられたのが古今和歌集である。特に、その最初に置かれた在原元方による年内立春の歌(「年の中に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ」)は、暦に関する単なる「知識」を弄ぶ「集中の最も愚劣な歌」(和辻哲郎)とさえ言われ、それがまた古今集全体の性格と水準の低さを代表するかのようにも語られてきた。しかし、子規以降半ば常識化したこうした理解は、暦というものの技術的・政治的さらには形而上学的本性とそれらを前にしたこの集の「選択」の意味を全く見落としている。

古今集時代すなわち貞観4(862)年以降に朝廷が用いた唐の宣明暦は、太陽と月の独立した二つの運動を共に基準とする太陽太陰暦であり、個々の月・年の長さの決定や置閏法といった運用は極めて複雑で、しかもしばしば政治的な介入をも蒙っていた。つまり暦とは、単なる「知識」どころではない高度な技術的・政治的構成物であり、また大変複雑で不安定なものであった。古今集冒頭の歌で問題となっているのは、年を構成する月の周期と春を規定する太陽の運行の間にはいかなる本質的な相関も見出すことができないという認識とそれを前にした深い訝しみ、つまり暦そのものに対する根本的な居心地の悪さなのである。

時間の制度性に関しては、アルフレート・シュッツが「多元的現実について」で、「時間」を


内的持続(inner duree)
市民的時間(civic time)
宇宙的時間(cosmic time)


に分け、また遺稿の『生活世界の構造』で、


内的時間(inner time)
社会的標準時間(social standard time)
世界時間(world time)


に分けていたことをここでは復習しておく(p.28)*2

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

Structures of the Life-World (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy)

Structures of the Life-World (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy)

正岡子規*3は、実は太陽暦定時制の採用という「暦」というか「時間」の自明性(自然性)を揺るがす事件を経験している筈なのだが、それは幼児のときであり、大人になった子規にとっては「暦」や「時間」の〈自然性〉は既に恢復されたものとしてあったということだろうか。

*1:http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/10/post-283/

*2:バーガー&ルックマン『現実の社会的構成』第1章の議論も参照されたい。

Social Construction Of Reality (Penguin Social Sciences)

Social Construction Of Reality (Penguin Social Sciences)

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110701/1309543976