「喫茶」ということで

たぬき*1歌声喫茶https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2024/02/02/045157


歌声喫茶」ということで、もうひとつの「喫茶店」を思い出した。ジャズ喫茶。時代としては、これらは同時代的なのだが(或いは同時代的故に)、交わることはあまりなかったのでは? 最近のスラングを使えば、陽キャ陰キャということになるのかも知れないけれど、それ以上に、政治的党派性や美意識上の対立があったといえるだろう。
ジャズ喫茶について、今まで拙blogでは文京区白山の「映画館」のことしか語ったことがなかった*2。それ以外にも、忘れ難いジャズ喫茶があった。別に、凄いレコードのコレクションを誇っていたとか、有名人が出入りしていたということないのだけど、今はなく、しかも店の名前も忘れてしまい、今あった! と言っておかなければ、なかったことにされてしまうのでは? 中央線の水道橋駅前の、水道橋を渡った文京区側*3外堀通りを渡ると後楽園球場(東京ドーム)や都営三田線水道橋駅。今は再開発されて、凡庸ではあるが小ぎれいなビルが建っているけれど、昔は神田川に沿って、小汚いビルが立ち並んでいた。白山通りから川の方へ階段を下っていくと、その店があった。不愛想で少し広めの店内にジャズが流れているだけで、常識的な範囲の小声なら、怒られるということはなかった。静かに談笑したりひとりで読書をするにはとても心地よい空間だった。バブル経済が始まる少し前にビルの取り壊しのために閉店した筈。
ところで、歌声喫茶というのは日本共産党が指導していた「うたごえ運動」*4の実践拠点であった。「うたごえ運動」を巡っては、渡辺裕『歌う国民』も参照していただきたいが、21世紀から振り返って、多くの人が吃驚するのは、共産党の文化に対する影響力或いは権威だろう。歌声喫茶(「 うたごえ運動」)の盛衰は日本における左翼の盛衰とも係っているのだろうけど、問題はそれにとどまらない。政治的なバイアスのかかったインフルエンサーが文化に対する影響力を行使するということはあっても、政党が文化に関する権威として一目置かれるということは考えられもしない。日本共産党にしても立憲民主党にしても、自民党にしても。これは〈1968〉の成果のひとつなのかも知れない。