パチンコ、またピンボール

政治的スタンスを問わず、また性別や世代を問わず、ネット上に文章を書く人で「パチンコ」についてポジティヴなことを書く人というのはあまり見たことがない。例外は2010年に発表された「よそ行き」さん*1の「そろそろネット住民の反パチンコ論についてひとこと言っておくか」というエントリーだろうか*2。その書き出しに曰く、


はてなでは定期的にパチンコに関する話題が注目を集め、大挙して押し寄せたブックマーカーたちが、口々に社会悪たるパチンコ業界に対する怨嗟の声を漏らすというのが恒例行事になっている感がある。
(略)
いつもは口汚く罵り合っているはてなーたちも、ことパチンコの話になると異様な連帯感をみせ、ネトウヨも(パチンコ産業を完全に排除したという)韓国に倣えと言い出し、はてサヨも権力による規制に賛成し、自己責任論者もパチンコ中毒者の肩を持つ。まさに圧巻なわけである。
勿論、新型コロナウィルスを巡っても、「パチンコ」は目の敵にされている*3。ここではそのことの是非も、或いはパチンコの是非も問おうとはしない。


たぬき*4「パチンコマニアの心象風景」https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2020/04/23/172527


所謂「パチンコマニア」についての考察。それについてはここでは立ち入らない。ただ元「パチンコ依存症」の人の言葉が引用されていて、それがちょっと気になった。


「パチンコ店の店側と客側を比べると、パチンコは、圧倒的に客側が不利なようにできています。基本的に、やれば必ず負けるように仕組まれているといっても過言ではありません。
 パチンコという遊戯自体をみても、何の生産性もなければ、人間の成長をもたらすものでもない。
 パチンコは、椅子に座ってただお金を入れ、ハンドルを回すだけのゲームなので、頭を使う要素が何もない。それこそ本当にバカになっていくだけの遊戯です」

 

 その人の記事は、次のようにまとめられていた。

 

 「パチンコはどれだけ時間を使おうがスキルが貯まっていくものではありません。
 パチンコにハマっている人で、魅力的な人に会ったことはありますか?
 パチンコに没頭している人で、魅力的な人を想像できますか?
 パチンコばかりしていると人生経験も乏しくなり、つまらない人間になってしまうということです」

たしかに、「パチンコ」が好きだという有名人はあまりいない。「パチンコ」といえば、やはり故土井たか子*5くらいだろうか。松本清張が家の近所のパチンコ屋の常連だったというのはWikipediaの知識なので、その真偽はわからず。
パチンコと有名人ということで、真っ先に思い出すのは吉本隆明。私が通っていた文京区白山の大学の近くの某パチンコ屋に吉本隆明が通っているという話が私の周りでは流通していた。私は吉本がパチンコをしているところを見たことはなかったけれど、昨日あそこの店に吉本がいたよ! という話はよく聞いた。ところで、吉本隆明駒込に住んでいた。駒込と白山というのは徒歩で行き来できる範囲だけれど、それほど近いというわけでもない。最近吉本ばななの『下北沢について』という本を立ち読みしていて、吉本家の日常的な買い物の商店街は谷中銀座だったということを知って、妙に納得したのだけど、何が言いたいのかというと、吉本の日常的な生活圏からは僅かに外れていたのだけど、よっぽどそのパチンコ屋が気に入っていたんだなということ。
下北沢について (幻冬舎文庫)

下北沢について (幻冬舎文庫)

さて、パチンコと同様に鉄の球を弾くゲームにピンボールがある。まあパチンコもピンボールの一種だと言えないこともない。でも、イメージは全然違う。もし村上春樹が『1973年のピンボール』ではなく《1973年のパチンコ》という小説を書いていたら、現在の世界文学は全く違ったものになっていたのでは? 以前は、ピンボールはゲーム・センターに限らず色々な場所にあったような気がする。今でもあるのだろか。そういえば、ゲーセンにはかれこれ20年以上足を踏み入れていないのだった。
1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)