たぬき*1「さびしくも美しいラクダのパラダイス」https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2019/03/07/170941
これを読んで、子どもの頃の御宿*2のことを思い出した。
因みに、千葉県のことをあまりよく知らない人が上掲のエントリーを読むと、「御宿」と「白子」というのは近いという印象を持ってしまうかもしれないけれど、近くはないです。「御宿」から「白子」に行くには、いすみ市、一宮町、茂原市を通らなければならず、基本的には山が海に迫る御宿辺りと九十九里浜の南端である白子辺りでは、風景としても異質です。
さて、御宿は母方の祖母の実家で、祖母のことを知っている人たちもまだ生きていたので、子どもの頃はちょくちょく行っていた。当時は、まだ「月の沙漠」の記念碑などはなく、御宿で記念碑といえば、「サン・フランシスコ号」遭難に因む「日西墨三国交通発祥記念之碑」*3だった。メキシコ*4と関係ある町というのが当時の売りだったんじゃないか。ところで、1960年代後半の日本人は21世紀の平均的日本人よりもメキシコに親しみを持っていた。それは(少なくとも表面的には)オリンピックがあったからだとは言えるのだけど。当時の御宿には、鄙びた漁師町を異化する(たしか)メキシコ・ホテルという近代的ホテルがあった。
その「日西墨三国交通発祥記念之碑」の近くだったかと思うのだが、砂山にサンドスキー場というのがあった。私が初めてスキーをしたのは雪の上ではなく砂の上だったということになる。サンドスキーの思い出が喚起されたのと同時に、もしかしてこれは記憶の捏造であって、本当は御宿にサンドスキー場など存在せず、自分もサンドスキーなんかしたことはなかったんじゃないかという疑いも頭を擡げてきた。実際、それから50代の現在に至るまで、御宿かほかの土地かを問わず、誰かがサンドスキーについて語っているのを聞いたこともないし、サンドスキーに関する文章を読んだことも、サンドスキーの写真や動画を見たこともなかった(少なくとも記憶している範囲では)。
今回、ネット検索をしてみて、御宿に「サンドスキー場」があったことを確認した。この件に関して言えば、私は自分の記憶に欺かれていたのではなかった、ということである。今思わず過去形を使ったけれど、現在「サンドスキー場」が存在するのかどうかは(少なくとも私にとっては)不確定的なのだ。
鞠村奈緒「昭和8年・外房 御宿 2」http://syowakara.com/04syowaB/syowaB38onjyuku.htm
これによると、「サンドスキー場」はもう営業しておらず、「サンドスキー場跡」として存在しているにすぎない。しかし、御宿町観光協会の公式サイトの中の「サンドスポーツ・ジャパン」という会社*5の広告のような記事には、「御宿サンドスキー場では、ジャンプできるような斜面などそれぞれ違うタイプの滑りを楽しめ、/砂浜がきれいでサーフィンで有名な御宿海岸のそばなのでサンドボードに限らずいろいろな遊びも/楽しめます!」と書いてある*6。「営業」しているかどうかはともかくとして、今でもスキーやボードをすることができるようだ。さて?
戦前の御宿;
鞠村奈緒「昭和8年・外房 御宿 貸家」http://syowakara.com/04syowaB/syowaB37onjyuku.htm
鞠村奈緒「昭和8年・外房 御宿 3」http://syowakara.com/04syowaB/syowaB39sotobo.htm
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/22/213400
*2:http://www.town.onjuku.chiba.jp/
*3:See http://www.town.onjuku.chiba.jp/sub4/3/mexico_kinentou1.html
*4:私は通常はMexicoを墨西哥と漢字で書くか、仮名で書く場合には西班牙語読みに因んでメヒコと書くが、ここでは敢えてメキシコという表記を使う。