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愛は勝つ」のKANさん死去 61歳、3月にがん公表
11/17(金) 11:49配信
大ヒットした「愛は勝つ」で知られるシンガー・ソングライターのKAN(かん、本名木村和=きむら・かん)さん*1が12日午後6時29分、死去した。61歳。福岡市出身。告別式は近親者で行った。
今年3月に「メッケル憩室がん」と診断されたことを公表し、コンサートツアーを中止した。入退院を繰り返しながら治療を続けていた。
1987年にアルバム「テレビの中に」でデビュー。90年のアルバム「野球選手が夢だった。」に収録された「愛は勝つ」がシングル曲として発売され大ヒットを記録した。91年の日本レコード大賞のポップス・ロック部門に選ばれた。
米歌手のビリー・ジョエルさんに憧れてピアノ弾き語りによるポップス曲を数多く手がけ、奇抜な衣装やコント風のステージでも人気を博した。代表曲に「言えずのI LOVE YOU」「まゆみ」など。
STVラジオ(札幌市)やFM COCOLO(大阪市)などでラジオパーソナリティーとしても活躍した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e96132497224bf2ceaeae7ffd3bd2111ba155122
スポーツニッポン「「愛は勝つ」KANさん死去、61歳 今年3月にメッケル憩室がん公表で闘病も…SNSは7日に最後の投稿」https://news.yahoo.co.jp/articles/f6fbb1f378c3d7facfda085ca4e48fd09b7a82e0
「歌手 KANさん死去 61歳 「愛は勝つ」などのヒット曲」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231117/k10014260921000.html
1990年代の初め、間寛平も「心配ない寛平!」と歌っていた。さて、酒見賢一と同様に、1961年生まれの61歳*2。私とは誤差の範囲で同年代なので、ショックは大きい。小腸に「メッケル憩室」という突起がある人は人口の2%くらいで、さらに「メッケル憩室癌」になる人は1000万人に1人強しかいないという。まあ籤運がよすぎたということだろう。
日本小児外科学会「メッケル憩室」http://www.jsps.or.jp/archives/sick_type/mekkel-keishitu
日刊スポーツ「KANさん罹患のメッケル憩室癌とは…小腸の一部にできる発生頻度1%前後の希少ながん」https://news.yahoo.co.jp/articles/4c82df9caf3f354ef0760304d3c41c6425c3ff9f
井戸まさえさん曰く、
https://t.co/hMVIK8l5CI
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年11月17日
KANさんが亡くなった。
2003年のことだったと思う。選挙活動のテーマソングに「愛は勝つ」の使用許諾をお願いしたところ、事務所からお返事をいただいた。著作権について気にして連絡をしてくる人はほぼいない中で連絡をくださってありがとうございます、との前置きの上で、
KANさんご自身はそうした申し出をうれしく思っているものの、一人に許すと他の方にも断れなくなるので今回は見送らせてもらいたいと言う内容だった。そして、KANさんからは頑張ってくださいね、とのメッセージを伝えるようにとことづかっている、と。
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年11月17日
その返答に誠実な人柄を見、私もかくありたいと思ったことをよく覚えている。 「最後に愛は勝つ」と日本中が大合唱したあの時代。 楽曲がリリースされた1990年は私が東洋経済にいた頃。財的ブーム、バブル真っ只中だ。『会社四季報』はバンバン売れ、ボーナスも「マジ?」と言うほど高かった。
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年11月17日
今のうちに楽しんでおかなければ、と焦燥感すらあった。そうした時代だたからこそ、お金で買えない価値=愛を信じようというメッセージがあれほどまでに浸透したということなのだろうか。 「最後に」ということは、「途中」は負ける続けるということなのだろうか。勝ったと思ってもまた負けて・・ 。
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年11月17日
「最後に」こそがこの楽曲のポイントであり、勇気と共に、「やめられない・とまらない」刹那も含むところがミソで、時代との並走を可能とした理由かもしれない。
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年11月17日
KANさん、どうぞ安らかに。
ところで、何故「和」が「かん」になるのかは謎。