真喜志勉

住友文彦*1「反復に立ち現れる葛藤」『毎日新聞』2020年8月9日


沖縄のアーティスト真喜志勉*2を巡って。


沖縄県民の4分の1が命を失ったとも言われる戦争が終わった時、真喜志は4歳だった。実家は基地の中で洋装店を営み、アメリカ文化に幼少期から親しむ。その後、美術を学びに東京に出た際に前衛芸術運動に触れ、読売アンデパンダン等にも参加し、1964年には故郷へ帰る。
真喜志の作品には、生まれ故郷を圧倒的な力によって支配するアメリカへの憧憬と憤怒が入り混じる。生涯ジャズを愛し続け、晩年の作品にオスプレイを描きこむ。沖縄返還直後に「大日本帝國復帰記念」と皮肉った個展を開き、アメリカに旅立つ。また、自らを「沖縄生まれのイデッキ(江戸っ子)」と呼び、本名を発音できないアメリカ人からの愛称「トム・マックス」で署名した。こうした矛盾を表現するのに、複数のイメージを並置させるコラージュの手法が適していた。それらは偶然のように居合わせているが、注意深く選び取られ、相応しい大きさと描き方を与えている。ひとつの正しさではなく、矛盾と複雑さを自分の感覚に沿うようにして抱えることができる手段だった。
また、「ポップアート*3と(方法的)「凡庸さ」について;

(前略)複製画像や大量生産品を転写する手法を多用するポップアートには、見る者の感覚を麻痺させるような凡庸さがつきまとう。美術でも文学でも音楽でもいい、引用によって表現を組み立てる作品は、歴史や資本の巨大な力に翻弄される虚無感を冷徹に見つめながら、そこかしこに自分の痕跡を残そうとする戦略に充ちていることが多い。

ポップアート大衆迎合ではなく、政治の季節に選び取られた表現である。オリジナルや正統なものを大切にする価値観を笑い飛ばす混交性に満ちている。直接的な抗議や行動ではなく、社会への風刺や自分自身が抱える葛藤をこの手法で表現した作家はアジアにも数多くいるが、しばしば形式的な凡庸さによって見過ごされがちである。こうした偏見は、私たちの内面に存在する植民地主義を消し去り、作品に個別の生を見出さないと拭い去れない。(後略)
『真喜志勉 TOM MAX Turbulence 1941-2015』*4多摩美術大学美術館で開催されている*5