「死」を巡って(小堀鷗一郎)

小堀鷗一郎「死を生きた人びと」『文京区立森鷗外記念館NEWS』30、p.2、2020


小堀鷗一郎氏は「新座市堀ノ内病院訪問診察医」。森鷗外の孫。鷗外の次女、小堀杏奴の息子。


(前略)私は都内の病院の外科に40年間勤務した後、埼玉県新座市に友人が開設した個人病院で偶然在宅医療に出会って15年が経過した。外科医の日常は基本的に救命・根治・延命が全ての世界である。周到な計画で立ち向かった困難な手術が患者の死で終わったときの敗北感・挫折感は自分以外の人間には決して理解できないという考えは現在も変わらない。死は紛れもなく敗北であった。そのような日常業務以外の世界で遭遇する死は両親を始めとして親戚、友人知人の死であり、マスメディアが報ずる死は事件性がない限り、功なり名を遂げた有名人の死である。
在宅医療で遭遇する死はほとんど全て無名の市井の人びとの死である。社会が全く関心を示さない死、という表現は必ずしも妥当ではない。家族にも知られることがない死、そして家族が知っていても関心を示さない死もそれほど稀ではない。重要なことは、その一人一人に語るべき豊かな人生があり、彼らはその辿ってきた人生に深く根差した死に方を望んだ、という事実である。
また、culminationという言葉を巡って;

Culmination(カルミネーション)という言葉がある。辞書には最高点、頂点、全盛、完成、南中とあるが、意味するところはNatural Culmination:それぞれ個人の『「あるべき」(学業、職業、人生)終わり』である。パリの緩和ケア病棟勤務の心理学者マリー・ドゥ・エヌゼルの著書「死に行く人と共にいて」に寄せたフランソワ・ミッテラン(元大統領)の序文「死によって人間は自分が本来そうなるべき姿に導かれる」と正しく符合し、その人にとっての最も望ましい死といえるだろう。私の在宅医療の15年間は452人(現時点)のこの世を去った人々のCulminationを実現することであった。敢えて付け加えるならば、そのほとんどが負け戦に終わったということである。