菊畑茂久馬

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前衛美術家の菊畑茂久馬さん死去 「九州派」作兵衛作品評価に尽力
2020/5/22 6:00
西日本新聞 社会面


 前衛美術家として活躍し、後年は大作の油彩画を描いた画家の菊畑茂久馬(きくはた・もくま)氏*1が21日午後2時、肺炎のため福岡市内の病院で死去した。85歳。長崎市生まれ。葬儀・告別式は未定で、お別れの会を開く予定。

 3歳で父親を亡くし、福岡市の警固中学校に通っていた15歳のときに母を亡くした。楽焼の絵付けの仕事をしながら我流で絵を描き始め、1957年に前衛美術集団「九州派」の旗揚げに参加。アカデミズムに対抗した読売アンデパンダン展などで、アスファルトを塗りつけた絵画や、丸太と大量の5円玉を使って性器に見立てた立体作品を発表し、注目を集めた。63年の「ルーレット」シリーズでは木の板に鮮やかなルーレットを描き、その上に廃材やオブジェを張り付けて「日本のポップアートの先駆け」と米国で評価された。

 83年を皮切りに「天動説」と名づけた大作油彩画のシリーズを発表。絵の具を塗りつけ、盛り上げ、垂らすなど濃密に作り込んだ絵肌を特徴とし、大画面を中心に精力的に制作した。

 64年にルポルタージュ作家の上野英信を介して知り合った、筑豊の炭鉱を描いていた山本作兵衛の作品を「絵画」として評価し、紹介することにも尽くした。

 戦争画や美術に関する著作も多く「フジタよ眠れ 絵描きと戦争」「天皇の美術-近代思想と戦争画」などを刊行。本紙には「絶筆-いのちの炎」「続絶筆-いのちの炎」を連載した。97年、西日本文化賞。2011年には、福岡市美術館長崎県美術館が大回顧展を開いた。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/610289/

教育者としては、1970年から2000年まで「美学校」の講師を務めていた*2。1971年には、菊畑に指導された美学校の生徒が山本作兵衛作品の油絵による模写を行っているのだった*3
See also


美術手帖編集部「菊畑茂久馬が85歳で逝去。前衛美術運動や戦争画の研究で功績を残す」https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21971
村上隆が注目する現代美術家・菊畑茂久馬を知っていますか。」https://casabrutus.com/art/12292