サイズの話とか


マンガの表現手法だけを盗んで、アート市場に持ち込んで売る商売は、そいつが儲かるだけで、マンガやアニメそのものの文化的評価にはつながらない。リキテンシュタインアメリカンコミックの表現手法をアートに利用してもアメリカン・コミックそのものの社会的地位にはまったく影響がなかったように。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071210
リキテンシュタインは「アメリカンコミックの表現手法をアートに利用」したのではなく、コミックをあくまでネタとしたのだと思う。その点で、村上隆の手口とは異なる。尤も村上隆日本画専攻なので、漫画・アニメも自分のも日本美術史の派生にすぎないといってしまうかもしれない(既に言っているか)。
ポップ・アートは美術史的に言えば、直接的には1950年代まで米国美術界を席巻した抽象表現主義への反発であり、またマルセル・デュシャンの〈レディ・メイド〉の影響というのも考えなければならない。前者についていえば、ポップ・アートは基本的に具象画であり、画面から画家の筆=腕の痕跡を感じることはない。後者についていえば、〈レディ・メイド〉ということなら、実際に(デュシャンがしたように)既成のものに署名をすれば済むことだ。しかしながら、リキテンシュタインの場合、実際に描いたということが重要だろう。
リキテンシュタインが何故コミックをネタにしたかといえば、それはコミックがありふれて、社会空間のそこかしらに転がっているイメージだったからにほかならないだろう。さて、リキテンシュタインにあって、その元ネタのコミックにないものは何かといえば、サイズだろう。リキテンシュタインの一連の作品の面白さは、せいぜい数センチ四方しかないコミックの1コマを何十倍にも引き伸ばしてしまったところにある。ポップ・アートといえば、オルテンバーグは特大の洗濯挟みとか口紅を作ってしまったが、美術、特にポップ・アート(或いは米国美術)におけるサイズへの拘りというのは面白いテーマであるかもしれない。
サイズということで、漫画(特に日本の漫画)についてなのだが、ファンはサイズの問題をどう考えているのだろうか。漫画雑誌は殆どがB5だが、単行本化される時はA5や新書判であり、さらに文庫本になればもっと縮小される。漫画について論じられる際に、サイズの問題というのはあまり言及されないような気もするのだが、それは私の無知にすぎないということだろうか。そういえば、映画に関しては、ヴィデオの普及とともに画面のサイズの問題はあまり云々されなくなったような気がする。


備忘録として記すと、村上隆については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060501/1146508243http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061021/1161440194http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070917/1190056062で言及しているのだが、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060501/1146508243で引用したあんとに庵様の言*1は特に再読の価値あり。