巻き付かれて

雨月物語 (昭和23年) (岩波文庫〈1051〉)

雨月物語 (昭和23年) (岩波文庫〈1051〉)

seiranzan「ストーカーの末路に感じる哀しさ」https://seiranzan.hatenablog.com/entry/2019/12/16/082623


「ストーカー」を巡って。


日本の代表的なストーカーというと、うん、やはり真っ先に浮かぶのは真名児だな。上田秋成の「蛇性の淫」に出てくるストーカー女さ。一目見て惚れてしまった豊雄をとことん追い詰めてゆく恐怖の女だ。女といっても白蛇の化身なんだけどね。この物語、実は安珍清姫の伝説を下敷きにしているんだが、それを描く秋成の筆致は凄まじく、ようやく真名児から逃れ、富子という若い女を娶った豊雄、二人だけで過ごす夜にその若妻富子の声が真名児のものに入れ替わり、豊雄に対して恨み言を言い出す下りを読むといつも背筋が冷たくなる。


 結局、とある高僧の手で真名児は鉄鉢へと封じ込まれてしまうんだが、ああ、何だか真名児に対して切ない気持ちになるね。蛇の化身とはいえそこまで一途だと愛おしささえ感じでしまう。そもそもこの豊雄ってやつはひどくちゃらんぽらんなんだ。相手が蛇だって良いじゃないか。一度は惚れて体を交えた仲、いっそ添い遂げればいいのにと思うのは私だけだろうか。

「蛇性の淫」(『雨月物語』)の真名児か!
敢えて異論を唱えてみたい。藤原定家*1はどうだろうか。勿論リアルな歴史的人物としての定家ではなく、能楽謡曲)の登場人物としての「定家」。

京都を旅していた僧侶が
 夕立にあい、雨宿りで
 駆け込んだところが、
 昔、歌人の「藤原定家
 (西暦1200年頃の人)が
 建てた家だった。

 どこからか現れた女性が、
 その僧侶を、
 葛(つる)のからんだ
 「式子内親王平安時代の、
  後白河法皇の第三皇女)」の
 墓に案内し、こう語った。

 ”藤原定家式子内親王
  慕い続けていたが、
  内親王は49歳で
  亡くなってしまい、
  定家が式子内親王を想う執心が
  葛となって
  内親王の墓に
  からみついてしまった。
  内親王の霊は
  葛が墓石にからんで
  苦しがっているらしい”

 僧侶はそれを聞き、
 内親王の成仏を願って
 墓の前で読経した。

 じつは、先ほどの女性は
 式子内親王本人の「霊」で、
 僧侶が読経してくれたことで
 成仏できて喜んだ。
 そして、この、からみついた
 「葛」に後年、
 「定家葛」の名前がつけられた。
(「定家葛」https://www.hana300.com/teikak.html

また、定家卿には、先のエントリーの、

ともあれこのストーカーという人種、割と相手が誰でもいいような気がする。ストーキングというのは、誰でもいいから相手を必要とする時期の事なのか、あるいは相手を鏡のように眺め、そこに映った自身の姿に執着しているのか。まあ何だっていいさ。すっかり枯れ果てて、あらゆる情熱ってもんから見放されてしまった私にはいささか羨ましく見えない事もない。多分、残りの人生、女に執着する事などないのかもしれないが、うん、これから書き出す新作には自分のぺらぺらな人生とかいうやつ、そいつのすべてをぶち込むように大いに執着したいと思っているんだ。
というパラグラフへの感想もお聞きしたいと思っている。