「雪」と「豊作」

澤田瞳子「古代の雪」『毎日新聞』2022年1月30日*1


曰く、


ところで「雪は豊作の前兆」という諺をご存じの方は、現代でも多いだろう。実はこれは古代中国の漢詩*2『文選』に出典のある思想で*3奈良時代から平安時代にかけての貴族社会には広く知れ渡った認識であった。学問の神様として知られる文人貴族・菅原道真*4などは自身の漢詩の中で、「城中一夜、尺に盈つるなるべし。祝着す、明年、旱と飢えとを免れむことを(一晩で雪が一尺も積もった。ああ、めでたい。これで来年は旱も飢えもないだろう)」と詠んでいるほどだ。
現在の京都市に都を移した桓武天皇の時代には、「初雪見参」という儀式が始まっている。これは上記の雪=瑞兆との意識のもと、文字通り初雪が降ると官人が参内して褒美を賜った儀式。17世紀に生きた後水尾天皇が当時の朝廷の年中行事を編纂させた『後水尾院當時年中行事』にも類似の行事が記されているので、宮廷社会では長く初雪が尊ばれていたようだ。
「雪」と「豊作」が結びつくには、何かしらの民俗学的前提があった筈だろう。つまり、都の貴族や知識人ではなく、直接農に携わる農民の意識の裡に、「雪」と「豊作」を結びつける何かしらのロジックがあった筈なのだ。


矢嶋美都子「豊作を言祝ぐ詩――「喜雨」詩から「喜雪」詩へ――」『日本中學會報』49、pp.73-89、2019


これによると、「喜雪」詩が本格的に作られるようになったのは、『文選』よりも後の唐代のことである。また、民俗学的前提については言及せず。