まんにょう話

「令和」*1の波及効果で、『万葉集』が(プチ)ブームになっているのだという。
万葉集』を巡ってのShin Horiという弁護士の方の呟き;


→なお万葉集が世間一般で日本の和歌(短歌)の模範であるかのような扱いになったのは基本的には明治以降で、江戸時代までは、万葉集を尊重する人もいたものの、基本的に和歌の模範としては『古今集』が圧倒的な権威を持っていたと思います。


6:39 PM - 15 Apr 2019
https://twitter.com/ShinHori1/status/1117965784876109824


→明治になって、古今集は、古い因習や軟弱な公家文化の象徴ののように扱われて、万葉集が、素朴で力強く勇ましく、庶民と天皇が直結して一体となっているかのようなイメージに結びつけられて、広く歌の手本となっていったと考えられます。


6:43 PM - 15 Apr 2019
https://twitter.com/ShinHori1/status/1117966658738352129

たしかに、江戸時代の古学(国学)でも、契沖法師や賀茂真淵は『万葉集』を推したけど、本居宣長は『古今』を推した。明治以降の情況は手短にいえば上で呟かれている通りで、所謂日本文化の総体的なますらお化(マッチョ化)ということなのだろうけど*2アララギ派か明星派かということもある。明星派は『古今』に対して肯定的だった。さらに扱いが酷かったのが『新古今』で、これは衰退せる貴族文化の頽廃の極み、みたいな扱いをされて、復権されたのは塚本邦雄*3などの前衛短歌の登場以降。戦前に知的な自己形成をした知識人で、典型的な万葉贔屓/古今嫌いというと、白川静先生(Cf.『回思九十年』)。なお、この近代的なマッチョ主義に基づく万葉贔屓は右翼だけではなく左翼の問題でもあった。もしかして、左翼の方が酷かった? 農民から天皇までの全人民参加というポピュリズムは左右共通。昔寺尾五郎*4『悪人親鸞』という本を読んだのだけど、肝心の親鸞に対するコメントよりも、突然藤原定家を呼び出して『新古今』を日本文学史上で最も愚劣と罵った箇所の方が記憶に残っているのだった。
古今和歌集 (岩波文庫)

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新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

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回思九十年 (平凡社ライブラリー)

回思九十年 (平凡社ライブラリー)

悪人親鸞 (徳間文庫)

悪人親鸞 (徳間文庫)

ところで、『万葉集』は平安時代に入ると直ぐに意味不明の文書になってしまったという。『万葉集』の解読は平安時代の400年かけてゆっくりと進められ、全体の意味が明らかになったのは、(新古今の時代に属する)平安末期から鎌倉初期辺りだったわけだ(Cf. 小西甚一『道――中世の理念』*5)。鎌倉右大臣源実朝が新古今の時代にいながら所謂万葉調の歌を詠んだのも、400年かけての解読作業の完結と無関係ではないだろう。
金槐和歌集 (岩波文庫)

金槐和歌集 (岩波文庫)