「無口な建物」

藤森照信*1明治神宮外苑の無口な絵画館」『ゆりかもめ』52、pp.23-25、1995


「大正15年に、聖徳記念館として建設された」神宮外苑の絵画館。藤森氏は「無口な建物」という。


ム・ク・チ
そう、無口な建物。東京一番の無口な建物は国会議事堂と普通思われているが、国会だって絵画館に比べればオシャベリだ。柱も立っていればアーチの窓もあり、重厚すぎるとはいえ玄関の扉だってある。寡黙かもしれないが無口じゃない。ところが絵画館ときたら、目立つ窓というものが見当たらない。目は心の窓というが、その窓がないんだから、建物の心を外からうかがうことができない。正面の中央には重い扉が付いていて、ここが玄関ということは分かるが、もともと開く気がないような閉鎖的な表情をしている。窓も少なく、扉も重く、こういうのを、取り付くシマがない、というんだろう。
窓や入口がこうだから、建物全体の姿は推して知るべし。横長の石のカタマリが大地の中から顔を出し、中央にドームが乗る、といったふう。普通、ドームはなかなか表情豊かなものだが、ここのはズングリムックリで、土マンジュウの形を石で作ったふうに見える。(p.25)

現在は簡単に絵画館といっているが、元々は、明治天皇の徳を得にして保存する施設だった。スポーツや公園と違い、明治天皇を祭る神社*2の外苑にふさわしい施設にほかならない。飾ってある絵の内容は、幕末の開国から明治維新の動乱を経て、五ヵ条の御誓文、明治憲法の発効、国会開設、更に日清・日露戦争へ、といった明治天皇が生きた時代の一代記。”絵で見る明治大帝”とでもいおうか。もちろん当時の一流の日本画家は総動員だから、画題はともかくとして、絵のレベルは文句なく高い。もっと美術館らしい豊かな表情の建物の中で展示したら…。
絵を一通り見た後、大ホールを見る。高い天井の大空間で、相当に暗い。窓が少ないから当然だ…と思って見上げると、高いところにステンドグラスがはめられていて、淡い光が差し込んでいるが、いかんせん光量不足で、大空間に充満する闇を追い払うことができない。
この大ホールの北側に絵画館らしからぬ物体が見えたので、近寄ると馬。彫刻かと思ったが、実物の剥製で、その横には骨格もある。知らなかったが、明治天皇の愛馬だという。死してなお姿をとどめ、主人の乗る日を待つのである。
この馬を見た時、私はすべてを理解した。謎は解けた。絵を展示してあるから美術館だと思った私が早計だった。美術館と思うから、無口だの暗いだの、若いカップルは避けて通るだの、悪口を言ってきたが、これは美術館なんかじゃないし、絵を一般的に見せる空間でもない。
ビョウ
そう、これは明治天皇の廟なのだ。お墓。廟と思えば、すべては納得できよう。土から生えた岩のカタマリのような外観も、上にのる土マンジュウふうのドームも、墳墓らしいスタイルだ。墳墓に窓は必要ないし、扉は開かずの扉こそふさわしい。インテリアの薄暗い大空間に上方から光が差し込むという演出もいかにも墳墓。
ここまで書けば読者諸賢も察しがついたと思うが、一代記を描いた絵というのは、エジプトの王墓や中国古代の陵墓では一般的に行われ、日本の古代の天皇陵でもそうだという壁画の一種にちがいない。(p.25)