「茶室」(メモ)

最近「茶会ってミニマムでテンポラリーな秘密結社だよね」と書いたのだが*1


藤森照信「茶室という建築」『図書』(岩波書店)755、2012、pp.2-5


少しメモ。


(前略)建築界での茶室の位置は微妙で、戦前の建築家たちはほとんど手がけていない。明治の辰野金吾は「あんなヤニッポイもの」と、まるで汚いものを扱うように避けたと伝えられるが、「ヤニッポイ」とは、辰野の故郷唐津では「メメシイ」の意という。大正期になると、藤井厚二と堀口捨己がはじめて手がけるようになり、堀口は研究も始めるが、茶室設計はその後途絶える。精神的に堀口に学び、戦前の堀口の後を受けて戦後の日本の建築をリードする前川國男、坂倉準三、丹下健三らは、一切、茶室に近づかない。日本の伝統について、法隆寺をはじめ桂*2や伊勢や御所や民家を論じ、評価するが、茶室には触れない。戦後のアンタッチャブルとしての茶室。
茶室という建築のあまりの極私性が、公共とか時代の表現を旨とした戦後建築のリーダーたちの姿勢とかけ離れていたからだろう。
この語られざる禁忌が解けるのは、丹下の弟子世代以後になってからで、磯崎新谷口吉生原広司安藤忠雄隈研吾は積極的に茶室と取り組むようになり、現在にいたる。(p.3)