「阿部一族」の起源(メモ)

門井慶喜「国民的ヒステリーの中で」『毎日新聞』2020年4月12日


森鷗外*1の「阿部一族」と「興津弥五右衛門の遺書」誕生の背景を巡って。


鷗外が体験した国民的ヒステリーのうち最大のものは、おそらく五十歳のときの、明治天皇の死によるそれである。
いや、鷗外の関心は、むしろその大葬の晩に陸軍大将・乃木希典切腹――いわゆる殉死――したことのほうが強かったかもしれない。何しろ鷗外みずからが陸軍に所属する軍医だったし、大衆の反応は、この乃木という日論戦争の英雄の至誠と胆力に対する感傷でたちまち一色にぬりつぶされたのだから。
鷗外は、さだめし違和感をおぼえただろう。ただしその違和感をじかに現代小説のかたちで発表したりしたら、それこそ大衆からの、
――聖将の死をばかにするのか。
あるいはもっと見当はずれで厄介な、
――天皇への不敬だ。
という抗議を受けかねない。
こんにちでいう炎上である。いつの世にも国難好きはいるのである。そこで鷗外が目をつけたのは旧幕時代に材を採る、いわゆる時代小説だった。これなら読者への刺激はやわらげられ、しかし言わんとしていることは、耳ある人には通じるだろう。或る時期以降の鷗外は、ただ何となく「書きたいから」で小説を書くような無邪気な作家ではなかった。