ratioなど

山内志朗『中世哲学入門』*1から。
「中世哲学」の基本的用語。


・規定性(ratio)――ratioというのも中世哲学では頻繁に用いられ、現代人を悩ませる。しかし、中世の人にとっては文脈によって意味は定まり、説明する必要はなかったのだろう。「理性」の意味で使用されることは少ないということは大事であるし、「根拠」の意味で用いられることもあまりない。ratio formalisというのも、スコラ哲学で広く使用される基本用語である。ratio formalisは「あり方、規定性」ということで、深く考え込んでしまうとわからなくなってくる。ratioにformalisが付くのは、「形相性」の証明とも重なりはするのだが、中世以降の人々がratioの強い多様性に迷わないためのサービス精神の現れと考えて、跨いで通り過ぎてもよい。(p.71)

・本性・自然本性(nature)――(略)事物が本来備えている性質のことである。日本語の「自然」というイメージや、「本性」という生物や人間が生まれつき備わったものを思い浮かべると意味が歪んでしまう。スコトゥスにおいて、共通本性(nature communis)という用語で登場するとされている。(pp.71-72)

(前略)ratioというのは、中世哲学では迷走を引き起こす用語である。「根拠」や「理性」という意味で用いられることは案外少ない。数学的な場面では「比」の意味になるが、多くの場合は「規定(性)」や「あり方」と捉えた方がよい。事物や概念の備えている内実・あり方のことである。
(略)[natureは]事物が備えている内実のことなので。ratioや概念と同じように用いられることも多い。したがって、「本性」と訳しておいて多くの場合支障はない。時折、「神によって創造された」という含意が含まれる場合もあるように思われるが、存在論と論理学の場面では、神との関係は考えなくてもよい。(p.72)

形相的に*2(formaliter)――知性認識の関係(habitude)において、知性認識するものにおいて、顕在的に成立している側面を指す。(略)十七世紀の哲学者は初等教育で叩き込まれているから迷いもしないし、説明もしないけれど、二十世紀人には難しい。精神による加工を加えないでもそれ自体で成立しているということである。(略)それ自体では概念としては、ありのままの姿を表すものなので、特別の注意を必要としないが、(略)「対象的」とは大きな対比性があって、コントラストが甚だしいことを捉える必要がある。形相的と対象的のコントラストが理解できないと、中世哲学の議論はほとんどモヤモヤしたままである。なお、「ありのままということ」も考えてみれば難して、道後反覆的にしか説明できない。(pp.72-73)

(前略)「形相的に」「対象的に」「基体的に」「実在的事象的に」というのは全部副詞として用いられる。「形相的」はとても悩ましい概念だ。しかも、近世哲学に継承されることなく、打ち捨てられた概念だ。なぜ打ち捨てられたのか。多義的であり、重要な概念なのに、議論の重荷を背負いながら、背負いきれない概念だからだ。知性による操作や働きを支える事物の側でのあり方を示しているが、とりわけ議論を解明する力を持ってはいない。(後略)(p.73)

・対象的に(obiective)――知性認識との関係(habitude)において、知性認識されている精神外部の事象とは独立に、精神のうちにのみ存在(tantum esse in anima)を有するものである*3。(略)デカルト(一五九八~一六五〇)が、神の存在証明において形相的概念と対象的概念との実在性の対比を使って論証していたが、かなり意地の悪い論証だと思って、その意地悪さを好ましいと思うようになってしまった。これもアヴィセンナに由来し、哲学に定着させたのがペトルス・アウレオリ(一二八〇頃~一三二二)であり、それを普遍論争に適用したのが、オッカムである。(後略)(p.74)

・基体的に(subiective)――知性作用の様々なものや、様々な偶有性や述語を支える実在的な側面を指し、認識する能力の面にも適用される。したがって。「主観的」」の意味でも「客観的」の意味でもない。(後略)(p.74)

・実在的・事象的に(realiter)――知性認識の関係において、知性認識するものとは独立に考えられている対象そのもののあり方を指す。〈もの〉(res)という概念が、西洋では具体性を持ったリアルなものだったのに、イスラームででは、非存在者を含む意味を持ったために、超越概念に〈もの〉が含まれ、イスラームでの使用法も気づかれると理解しにくいという状況が生じ、混乱が起こった。さらに、実在的(realis)という語は、確固たる実在性を備えた意味合いから、十三世紀後半、〈認識論的転回〉が起きると、意味合いは徐々に実質を失い、事物の中に持っていた根拠を失い始める。(後略)(pp.75-76)

(前略)[realiter]を「実在的」と訳すと、「実際に存在する」という意味が表面に出てきて、大きな誤解を生み出してしまう。しかし「事象的」では哲学概念として定着していないし、言葉としてもフンワリとしすぎて落ち着かない。(略)「リアル・レアル」では訳したことにならないので、「実在的」を選ぶことにする。事象の側に根拠を持っているのだが、しかしそれに対して知性の操作が加わっていても、事象的でなくなるわけではない。事象の側にあるあり方への追跡可能性(トレーサビリティ)のことを事象性(リアリティ)として捉えると理解しやすいと思う。(p.76)