山内志朗『中世哲学入門』*1から。
「存在概念の濃度と深さにこそ中世スコラ哲学の最奥部がある」という(p.36)。
ギリシア哲学の根本は「存在」にあると言ってよい。アリストテレスが「存在とは何か」を根本問題としたことに示されるように、哲学は「存在」を探究する。その場合、存在は様々な事物の存在していることをも意味するが、もっと大事なのは、様々な学問探究の基礎となり、共通の基盤をなすものとしての「存在」ということが大事だったのだ。「存在」は単純でなく、途方もなく複雑だった。姿を隠し続けるものなのだ。
中世哲学でも存在は根本問題となる。存在と本質が中世哲学の根本問題として考えられることは長く続いた。しかし、ギリシア哲学におけるような学知の基礎としての位置を持つものが存在であり、それを探究するのが哲学であるとすると、中世において、神学の基礎をなすものは「存在」であるとは言いにくい。
中世哲学において、神が主題になるとして、その神は「在りて在る者」であり、アリストテレスの『形而上学』の主題が「存在する限りにおいて存在するもの」であるとすると、両者が重なることは見て取りやすいし、多くの神学者も、中世哲学研究者もそれを道標としてきた。そして、日本でも京都大学の山田晶*2(一九二二~二〇〇八)は、トマス・アクィナスにおける存在(エッセ)研究を基軸として画期的な業績を積み上げた。山田晶なしに日本に中世哲学は存在しえなかった。日本で中世哲学を考えるとき、一瞬でも彼のことを忘れてはならない。(pp.37-38)
中世哲学において、「存在」は中心問題だ。にもかかわらず、存在とは何かを追い求める心で向かうとはぐらかされる。奥に進めば進むほどわからなくなってくる。だから先走りというか、独断的な見通しをあらかじめ書いておく。中世哲学に長年付き合ってきた帰結としての思い出もある。存在とは何か。アリストテレスが形而上学の根源的な問いとし、中世哲学が追究し続けた問いに簡単に答えを出せるものではない。にもかかわらず、結局わからないままで終わらせるのは、哲学からの逃亡になる。存在ということを独断的に語るとすれば、あるとかないという次元の事柄というよりも、事物であれ生命であれ出来事であれ、世界の中に登場して世界を構成し始め、そのように立ち現れていて、そう記述し、語り、伝えられることが「存在」ということではないのか。
各人の世界が奈辺にまで広がるものとして構成されているのかによって、それを構成するものは変化するとしても、それが意識の審級によって覆われるものにとどまらず、ハビトゥスによって捉えられるものまで広がるとすると、存在は案外大きい領野まで広がると思う。存在をめぐる心象イメージしかないが、私はそのように思う。(p.39)
*1:Mentioend in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/06/12/094109 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/07/104401 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/16/120515 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/20/102203 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/27/143140
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080401/1207027610