冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』*1から。
シモーヌ・ヴェイユが労働運動に関わり始めた頃の仏蘭西労働運動一般の状況は、社会党系の「労働総同盟(CGT)」と共産党系の「統一労働総同盟(CGTU)」との分裂であった(p.27ff.)。
(前略)ヴェイユは最悪のタイミングで社会と対峙したのである。あるいは、そのおかげではやく革命幻想に見切りをつけ、労働組合の限界を知ることができたというべきか。この経験はマルクス主義の再考をうながすきっかけにもなった。
当時のヴェイユは、なによりもまず人間の意志の力を信じるデカルト主義者である。また、正統派といってもよいマルクス主義者らしく、きたるべきプロレタリア革命において、労働組合や共産党がはたすべき役割を信じていた。そのうえ、フランスの伝統的サンディカリストでもあったので、革命の主人公たるべき「覚醒せるプロレタリアート」とは、職人かたぎの熟練労働者の発展形であるとも考えていた。労働者を犠牲にするだけの組合の分裂を憂えたからこそ、CGTとCGTUを再統合すべく奔走したのだ。しかし再統合も修復もならず、フランスの労働運動はしだいに求心力を失っていく。やがて一九三二年、ドイツの労働組合や共産党の硬直化をまのあたりにしたヴェイユは、以後いっさいの組合や党に愛想をつかす。これら既存の組織は主導権争いに腐心し、共通の敵であるナチズムやスターリニズムと闘う気概もなく、労働者たちをみすみす見殺しにしたからだ。こうしてアラン譲りの楽観的な革命観は、一年たらずで深刻な修正をせまられることになる。(pp.29-30)
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/04/25/134312 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/18/192146 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/25/105930 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/28/143938 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/12/31/195623 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/06/193242 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2025/01/10/170551