中山千夏『幸子さんと私』

少し前に中山千夏*1『幸子さんと私 ある母娘の症例』を読了した。


今日ママンが死んだ――まえがき――
第一章 愛してほしいねん
第二章 娘の記憶から
第三章 母の記憶から
第四章 仕事をめぐって
第五章 経済をめぐって
第六章 恋愛をめぐって
母を褒める――あとがき――


文庫版あとがき
解説(信田さよ子

母親(前田幸子)との関係に悩んでいた著者は、母の死後、自分と母親との関係を改めて言語化した。母を語ることは自分を語ること。それは1冊の自叙伝を新たに書き下ろすことだった。

つまり本書は、母娘関係に悩んだ娘の、いわば自己カウンセリング記録なのだ。
ザコン*2という言葉が流行ったのは、もうずいぶん昔のことだ。成人しても母親離れできない男、もしくはその母息子関係が、今でもそう呼ばれている。マザーコンプレックスの学問的な定義は知らなくても、マザコンと聞けば、私たちはある一定の母と息子の関係の壁を感じ取り、母と息子の間には、社会が名付けるに値する普遍的な問題があることを推定する。
母娘関係が問題になるのは、それよりずっと遅れた。私自身が、自分の母との関係や、母と祖母(姑ではなく母の実母)、女友だちやその母親との関係を見ていて、ここにはなにか普遍的な問題があるぞ、と考え始めたのも、たがだか二十年ほど前、四〇歳を過ぎてからだったと思う*3。それまでは、関係に生じる軋轢を、個々の母と娘の性格に帰しているだけだった。通常の人間関係ではありえないような依存や支配のある母娘関係を採り上げた、専門家(精神科医やカウンセラー)による研究書や当事者の手記が書棚に並ぶようになったのは、それからさらに十年以上を経てからではなかったか。
そして今も、その関係には、マザコンに匹敵するような名はついていない。事象は存在するのだが、社会派それを名付けるほどの問題とは見ていない。
母娘関係が社会にどれほどの影響をおよぼすものか、私にはわからない。けれども、これは女にとって、人間にとって、たしかに大きな問題だという実感がある。みんなでおおいに語り、考えるに値する問題だ、と思う。
だから、自分の思いを吐露し解放したいという欲求を満足させながら、私はこれを母娘関係のひとつの「症例」として、世に捧げよう。(pp.6-7)
結論は、

幸子さんは、公平なところ、いいひとだった。あれこれ欠点はあるが、他人に対して、意識して悪事を働くことは、まずなかった。むしろ、誠実に熱心に、強い責任感をもってひとの世話をすることが多かった。冗談も適度に解したし、お茶目でかわいいところもあった。
自身を持って言うことができる。
前田幸子さんは、ひとが信頼してつきあえる、好人物だった。
そして、娘には、恐るべき母だった。(p.277)