「普通」(岸政彦)

須藤唯哉*1「「ありのまま」すくい上げ 市井を描く社会学者」『毎日新聞』2021年9月12日


岸政彦氏*2へのインタヴュー記事。


現代の大阪を舞台にした小説を書き続けている作家の顔も併せ持つ。作品に特異な人物やヒーローは登場しない。場末のスナックに勤める女性、経営悪化でリストラがちらつく会社員といった小さな存在に過ぎない人々の姿が端正な文章で描かれる。でも劇的な展開はない。なぜなのか。
その答えは、岸さんがよく口にする「普通を描きたい」にある。「誤解されることがあるが、僕の『普通』は『平均』や『ノーマル』ではなく『目に入ってくるそのまんま』という意味。社会学の仕事とも通底しているものがあるような気がしますね」
「目に入ってくるそのまんま」、doxa、英語で謂うところのopinionの原義。
『東京の生活史』について;

膨大な語りを収録した一冊は東京の「代表」や「縮図」ではないという。「『東京という街はこうなんだ』というものを描く意図は全くない。偶然カフェで隣に座った人の語りを聞くような感じになればいい。そして現実の東京はとにかく膨大なんだということを想像してほしい。でも長いこの本を最後まで全部読み通す人はいないと思うけど」

25年以上にわたって生活史の調査を続けてきた今、「一人の話から十分に社会を描けるというのが信念」と言い切る。「『一人の生活史で社会の何がわかるの?』とよく言われるが、その話の中には社会的な階層もジェンダーも歴史も全部入っている。例えば、シングルマザーになったことで経済的に苦労しているという話は個人の生活史にとどまらず、ジェンダーの不平等が浮き彫りになったりする。だから個人の話と社会の実情は分ける必要はない」
作品を読むと「さみしくなる」といった感想が寄せられることが多い。本人の心情とも重なる。
「俺も生活史を聞いた後にさみしくなる。それは、分かれの歴史のような気がするから」。死別、神学や就職に伴う疎遠――。幾つもの別れが必ず訪れる。「人はつながりの中で生きているけど変わっていくし、多くの別れがある、長い、短いの差はあるけれども、つながりは全て一時的。だから生活史を聞いていると、一人で生まれて、一人で死んでいくということを痛感する」