「孤独」と「対話」

中島隆博*1「哲学の使命」in Markus Gabriel、中島隆博全体主義の克服』、pp.14-19


曰く、


古今東西の哲学を貫いて見てみると、おそらく、哲学の最良の部分は対話にある。対話はジャズセッション*2のようなもので、あらかじめ定められた譜面はない。共鳴するかどうかはやってみなければわからないのである。それはまるで私たちの生のようなものだ。偶然に向かって、未知なるものに向かって、実存的に飛び込みながらも、少しずつ言葉を獲得し、経験が深められていく。そして、経験に安住することなく、それを織り直し、再び生に没頭していく。この繰り返しのなかで、わたしたちが生きている現実の構造がようやく見えてくる。
しかし、それはひとりでは決して開けない地平だ。哲学は絶対的な孤独を必要とする。「絶対的」という言葉には「断ち切る」という意味があり、慣れ親しんだ自然な関係やものの見方を断ち切って、自分で出発するほかないということだ。とはいえ、それだけでは哲学は自分を食んでしまいかねない。それはもう一度、自分ではない他者につながり直すことをどうしても必要とする。対話というのは、絶対的な孤独の底で出会うことである。(pp.16-17)
中島氏自身の著作としては、『哲学 ヒューマニティーズ』が参照されるべきか。
哲学 (ヒューマニティーズ)

哲学 (ヒューマニティーズ)