中島隆博『哲学』

哲学 (ヒューマニティーズ)

哲学 (ヒューマニティーズ)

中島隆博『哲学 ヒューマニティーズ』(岩波書店、2009)を数日前に読了。


はじめに


一 哲学はどのうように生まれたのか
(一) 哲学の始まり
(二) 中国哲学の始まり
二 哲学と翻訳そして救済――哲学を学ぶ意味とは何か
三 哲学と政治――哲学は社会の役に立つのか
四 哲学の未来――哲学は今後何を問うべきなのか
五 哲学を実践するために何を読むべきか


おわりに


「哲学とは何か」という問いを前にすると、たじろがずにはいられない。それは、わたしが中国哲学や比較哲学という哲学の周縁に配置されてきた学問を専門にしているから、というわけではない。そうではなく、「哲学とは何か」という問いには、哲学に関わっている全ての人を不安にさせる何かがあるのだ。それは、哲学的な問いをそれぞれの仕方で人が問い、それに答えるプロセスの中で、わたしはいったい何をしているのだろうかとつぶやく瞬間に滑り込んでくる問いである。この問いに正面から向かい合うには、適切な時があるのだろう。その名も『哲学とは何か』という本を書いたジル・ドゥルーズ(一九二五−九五年)とフェリックス・ガタリ(一九三〇−九二年)によると、それは人生の晩年である。(p.iii)
というパラグラフから始まる本書は、物理的には全部で130頁くらいのぺらい本でありながら、重要な問いが錯綜しながらぎっしりと詰まっており、手短に要約したりするのは容易ではない。この本はどういう本なのかということをいちばん端的に示しているのは、「はじめに」の終わりに、上のドゥルーズガタリ、そしてエドワード・サイードを参照しての、

では、「哲学とは何か」と問うことはどうなのだろうか。やはり、それも、また終焉に位置し、時代錯誤的であることが不可欠なのだと思う。調和・和解・完結に向けて哲学を整序することではなく、猛り狂って限界をはみ出す哲学の力を解放すること。しかし、それによって、何が実現するというのだろうか。本論で考えてみたいのはこのことである。それは、現在の哲学というよりも、未来の哲学、哲学の将来に関わることだ。わたしはそれを最終的には、救済もしくは平和だと考えたい。どちらも容易には口にすることのできない言葉であることを承知の上で、あえて猛り狂ったスタイルでそう述べてみたいのである。(p.vii)
というパラグラフだろう。
詳しいコメントは別の機会に回すとして、以下幾つかの抜書き。
「哲学とは、哲学者が何にもよらず単独で概念を定義することである」というドゥルーズガタリの定義(p.1)を踏まえて、

ところが、哲学者が単独で定義する概念は、それがどれだけユニークなものであっても、いやかえってユニークであればあるほど、それは自らを通じて「新しい普遍」を構築し、多くの人に呼びかけていく。そのため、哲学は、概念を通じた哲学者の呼びかけであり、同時に、他の哲学者の呼びかけに対する応答でもある。ただし、応答といっても、それは、概念を言説の体系の中に整理するようなものではない。応答それ自身も、新たな概念の創造でなければならないからだ。こう考えてくると、哲学は哲学者の単独の実践に見えながらも、他者に呼びかけ、他者から呼びかけられる構造を有していることがわかる*1。(pp.1-2)
「哲学の始まり」を巡って。「ギリシアは、オリエントの帝国の縁にある「国際市場」であ」り、「ドゥルーズガタリにとって、哲学者は「職人や商人」と同じく、移動し逃亡する外国人である」(p.4)。「ギリシア的環境には、「哲学の事実上の諸条件」である内在、友愛、オピニオンという三つが備わっていた」(p.6)。

内在とは、垂直的で超越的な宗教的秩序を拒む、友たちの間で生じる水平的なアゴーン(競技、競技場)という平面である。それは、「偶像を寄せ付けない土地」である。この内在平面がギリシアに広がっていたからこそ、哲学者が到来するとともに哲学が始まりえた。すなわち、いかなる超越にも訴えずに、「尺度なしに概念を創造すること」が始まったのである。ドゥルーズガタリによれば、知恵は、それを体現していた至高の聖賢から離れ、知恵の友愛(フィロ-ソフィー)のアゴラ(広場)において、哲学の友の間で争われるものになった。垂直的なヒエラルキーなしの、まったく新たな社会的関係としての友愛がここでは不可欠である。哲学は、植民地=帝国の人間関係から解放された人々の間で成立した。彼らは聖賢の知恵を求めていたのではなく、互いのオピニオンの交換を求めていたのである。
そうすると、内在はそこから哲学が展開する非−哲学もしくは前−哲学的な場所ということになる。ドゥルーズガタリは、非−哲学について、「非−哲学的なものは、おそらく、哲学そのものよりも哲学の核心にある」と述べていたが、それは内在のことである。だが、それが「哲学の核心にある」とはどういうことだろうか。
そもそもドゥルーズガタリにとって哲学は、観照、反省、コミュニケーションあるいは自己認識、驚きではない。これらの用語はいずれも、哲学の定義として従来しばしば用いられてきたものである。それらを退けて、ドゥルーズガタリは、哲学は概念を創造することだと断言する。
ところが、概念を創造するためには、しかも、超越に訴えることなく、「尺度為しに概念を創造する」ためには、超越とは別の、それが展開していく場所が必要である。それが内在であり内在平面であったわけだが、この内在平面は、単純な仕方で、概念に先行して存在するものでもなく、概念の外部に存在するものではない。ドゥルーズガタリによれば、それは概念の創造が開始されるやいなや創始され、しかも概念を潜在的な仕方で支えるものだ。それは、前−哲学的であり非−哲学的であるが、いやそうであるからこそ、哲学の内的な条件となっている。これが、「非−哲学的なものは、おそらく、哲学そのものよりも哲学の核心にある」と述べられたゆえんである。(pp.7-9)

そもそも哲学は、ある国民として表象される同一の言語を話す人々の中で、内的なロゴスとその歴史を共有することによって特定の共同体を競り上げることに還元されるものではない。それは、複数の言語に開かれ、他者の言語に耳を傾け、その上で、あらたな概念に基づいた言説を紡ぎ出す実践でもある。ドゥルーズガタリギリシアを考えてみれば、異邦の哲学者のオピニオンに耳を傾けるためには、翻訳の経験を避けて通ることができない。そうであれば、哲学の言語は、その始まりにおいて、翻訳において成立したということもできる。(p.38)
抜書きはここら辺で中断しておくが、本書ではなく(以前にも引用したことがある)『残響の中国哲学』の一節*2を、本書とも響き合う文章として提示しておく;

以上から、この書物を『残響の中国哲学――言語と政治』と名づけたゆえんもまた、おわかりいただけるだろう。それは二つの交錯した思いからであった。

一つは、中国哲学という、近代におけるその誕生の瞬間から哲学としての資格を疑われ、現在の日本においてはもはやその命運も尽きたかに見えるキメラ的な学への愛惜である。残響においてしか存在しないかのような中国哲学であっても、いやそうであるからこそ、残響のなかに見捨てたままにしてはならない。残響のなかに置くことは、それ自体が、哲学の政治的な挙措にほかならないからだ。

もう一つは、その中国哲学が、言語の支配という政治を夢見ることによって、未聞の他者の声である弱い声をかき消してきたことへの警戒である。中国哲学は決して素朴なものではない。その哲学的な問題系の一つである、伝達可能性を保証する公共空間において、弱い声はあらかじめ排除されている。その排除の構造を問いながら、如何にして弱い声に耳を傾けるのかが問われなければならない。それは、中国哲学のなかにある微かな残響を聞き取ることである。

残響のなかの中国哲学中国哲学における残響。わたしたちは両の耳で別々の音を聞き取らねばならない。聞こうとしているのは、耳の体制を変更することではじめて聞こえてくる残響である。その残響においてはじめて、中国哲学はマイナーな人々のための、マイナーな哲学に変貌することだろう。(pp.viii-ix)

残響の中国哲学―言語と政治

残響の中国哲学―言語と政治