渋谷の大学

屋代秀樹*1ジョン・レノンの先輩と文士の同窓」『ちくま』585、p.64、2019


曰く、


(前略)当時通っていた渋谷のキャンパスにあった部室は、旧校舎の半地下、薄暗い廊下の突き当りにあり、茶色くくすんだ廊下の壁には多分六〇年代のものだと思われる「機関車の先頭部分にマルクスの顔をあしらった(機関車マルクス!)集会告知のポスター」が張りっぱなしになっていた。部室内はコンクリートの打ちっぱなしで、いつだれが書いたのか「神風連の純粋に学べ」という三島由紀夫の文句が殴り書きしてある。二十一世紀だったのに。
日が暮れるまで部室でだべっていると、夜学の先輩が現れるのだが、またこの人がなんというか、金属フレームの丸メガネで、肩までの長髪、チェックのネルシャツにジーパン、大体アコースティックギターを担いでおり、「やあやあどうも」と言いながら部室に入ってくる。そして自作の曲を披露してくれる。大学から一駅の、酒焼けした声のおばあさんが大家の古い木造アパートに、人形のように美人だがエキセントリックな恋人と同棲していて、ビートルズ吉行淳之介植木等を愛好していた二十一世紀だったのに。
語学のクラスが同じで、一番仲良かった同窓Yは、地元の友達と電話している口調を聞く限り、おそらく元ヤンキーだったが、芥川龍之介を敬愛し、森鷗外に倣って擬古文で日記を書き、週一で「好きな漢詩を持ち寄って読む会」を開いていた。完全に「文士」だった。二十一世紀だったのに。卒業の直前に、その擬古文で綴った日記やサークルで書いた作品を、手作りで上製本に編纂して「臥竜」と名付けた「全集」を出版していた。五冊限定のその「全集」は、一冊を僕が持っており、一冊は文芸部に寄贈されたのだが、まだ残っているだろうか。彼は卒業後に「文士」とはなんら関係ない先物取引の営業に就職しているのだが、その仕事を選んだ理由が「自分を追い込むため」で、傍目では意味不明のストイックさがある男だった。
「渋谷」にある大学って國學院*2しか思いつかないな、まさか聖心女子大じゃないよねと思ったが、やっぱりそうだった! 日本文学科*3