岡野弘彦雑感

承前*1

「令和」問題を巡って。


「“令和は国書から初選出”に「昭和天皇」歌の指南役が異議 安倍首相の拘りが…」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-00559643-shincho-soci


週刊新潮』曰く、


(前略)
「歌の大和ことばでなく、漢詩的な表現から取られているので、その点では今までと変わらない気もします」

 と、昭和天皇の作歌指南役も務めた国学院大学名誉教授の岡野弘彦氏(94)*2は総理の本懐に異を唱える。

「あの頃は中国の漢詩、漢文に憧れがある時代。西洋にかぶれるのと一緒です。大宰府(序文に続く歌が詠まれた場所)は当時、大陸から漢学が入ってくる場所でした。あの序自体には、そんなに深く読み解くべきものはない。書いた人間が外来文化が好きで、自己満足みたいな表現ですから。(新元号を選ぶにあたって日本の古典に)拠り所が欲しかったんでしょうけど、うーん」

岡野氏は昭和天皇だけでなく、その下の今上天皇や次期天皇の「指南」も行っていた筈。それよりも、折口信夫*3の最晩年の直弟子のひとりということの方が重要だろう。因みに、岡野氏は「令和」からを連想しているようだ。ただ、三ツ矢サイダーのように「冷たくされてもいいんです/冷たくするからいいんです」(大瀧詠一)ということもあるのでは?
「国書」に拘ったのは笹川陽平か。
また、「私の名前には“命令に従って和をもたらす”という意味がこめられています。軍人だった父親が、易者からつけてもらった名前でした」という令和さんもいるのだった。