『読売』の記事;
http://d.hatena.ne.jp/Z99/20061216/1166266224でもhttp://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20070101#1167676103でも、神社本庁に対しては批判的なようだ。
ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。
全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。
地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。
森国英夫宮司(64)は「遠隔地でお参りできない人にも神社を身近に感じてもらえる。メールがきっかけで、直接参拝につながる例も多い」と話す。正月には毎年、全国から数十人のネット参拝者がいるという。
ほかにも、メールを受けて有料で祈願し、後日、お札などを郵送する「ネット祈願」や、ネット上でお守りやお札を買える神社も、数年前から登場している。
こうした動きに、神社本庁は今年7月、「信仰の尊厳を損ないかねない」と、全国の神社に自粛を求める異例の通知を出した。本庁の瀬尾芳也調査課長は「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。ネットの有効性は認めるが、仮想的、疑似的な側面が広がりすぎると、本来の信仰の形が崩れる」と説明する。
だが、通知後も推進派は少なくない。10月からネット上でのお守り販売を始めた東海地方の神社の宮司は「地方の小さな神社にとってネットは有力な手段。ネットだから心がこもっていないとは言えないはず」とし、メールでの祈願を受け付ける関東地方の神社の宮司も「海外から『お守りを分けてほしい』というメールも来る。営利目的ではなく、信仰の尊厳を傷つけているとは思わない」と話す。
これまでも、病人などには電話や手紙でお守り、お札の販売を受け付ける神社は多く、「手紙はよくてメールはダメというのはおかしい」という意見もある。本庁では、研究を重ね、来年にはネット利用の指針か報告書を出す方針だ。
井上順孝・国学院大教授(宗教社会学)は「お札だって木や紙に印字したモノであり、どこに神聖性を見いだすかは受け手の判断によっても変わる。技術は日々進歩し、一律の統制は難しいが、指針を作るなら、『尊厳とは何か』という視点を踏まえつつ、現場の神職や氏子の意見も取り入れるべきだ」と話している。
(2006年12月16日14時32分 読売新聞)
http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061216it04.htm&date=20061216153755
たしかに宗教とヴァーチャル・リアリティとの関係は、宗教こそが元祖ヴァーチャル・リアリティであるともいえるだけに、難しいところがある。
ここでは、宗教とトポスという問題として考えてみたい。例えばエリアーデの『聖と俗』
聖と俗―宗教的なるものの本質について (叢書・ウニベルシタス)
- 作者: ミルチャ・エリアーデ,風間敏夫
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民俗宗教でも組織宗教でも、伝統宗教でも新宗教でも、また〈主体思想〉のような政治宗教でも、どの宗教でもおしなべて、世界は特権的な場所=聖地を中心として構造化されている。中でも、日本の神道では場所への拘りが強い。或る意味で、神道は場所への信仰でもあるといってしまうことも可能であるかも知れない。三輪山を初めとして、場所そのものがご神体であることも少なくないわけだし、伊勢にせよ出雲にせよ熊野にせよ、それぞれのトポスを抜きに信仰を理解することはできない。その意味で、空間に拘る神社本庁のスタンスは理解可能である。
ただ、その一方で神道の神も場所を超越する傾向を持っており、熊野にしても八幡宮にしても諏訪にしても、それらの本来のトポスを超えて各地に勧請され、フランチャイズを有しているわけだ。これらとネット空間がどう違うのかといえば、多分ネット空間においては、tropicalな関係が取り結びにくいということがあるのではないかとも思う。
ところで、
たしかに、19世紀のスピリチュアリズムは、写真のような光学テクノロジーや電信のようなテレコム・テクノロジーの出現と切っても切り離せないと思う。
他方で、民間の神霊観は、心霊写真に顕著に認められるように、新しいテクノロジーが普及されるたびにそれを吸収してきました。民間の神霊観を背景にしてつくられる作品においては、神霊(心霊)は、テレビに映り(「テレビ小僧」)、ビデオテープに録画され(「リング」)、携帯電話の電波にも混入する(「着信アリ」)ものとして表現されてきました。この延長線上で「攻殻機動隊」ではネット上に存在する「ゴースト」もすでに語られています。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20070101#1167676103
それから、http://d.hatena.ne.jp/Z99/20061216/1166266224で言及されている研究会に私も出席していた。たしか黒崎浩行氏が報告したのではないと思う。研究会の前に祝詞を上げてお祓いを受ける研究会というのは初めてだった。
*1:時間も均質ではない。