上田正昭

朝日新聞』の記事;


古代史学者の上田正昭さん死去 京大名誉教授

2016年3月13日20時42分

 古代国家や渡来人などの研究で知られる古代史学者で、京都大名誉教授の上田正昭(うえだ・まさあき)さんが13日、亡くなった。88歳だった。

 1927年、兵庫県生まれ。京都大卒業後、高校教員や立命館大講師などを経て、京都大教授、大阪女子大(現大阪府立大)学長を歴任。アジア史学会長、世界人権問題研究センター理事長、姫路文学館長、高麗美術館長などを務めた。

 古代王権の政治制度、神話の研究のほか、人権問題にも取り組んだ。古代の活発な国際交流を説き続け、中国、韓国・北朝鮮などの研究者とアジア史学会を設立、「21世紀を平和の世紀に」と訴えた。

 京都府亀岡市の古社・小幡(おばた)神社の宮司も務め、「鎮守の森」の重要性を研究する社叢(しゃそう)学会も旗あげした。歌人としても知られ、2001年の宮中歌会始の召人(めしうど)も務めた。

 97年に大阪文化賞、98年に福岡アジア文化賞・学術研究賞、00年に南方熊楠(みなかたくまぐす)賞を受賞。著書に「日本神話」(毎日出版文化賞)「帰化人」「日本文化の基層研究」「私の日本古代史」など多数。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3F61W7J3FPTFC006.html

以前、上田正昭先生*1の森浩一先生への追悼文を引用したことがあったのだった*2
ずっと以前に、角川文庫から出ていた『日本の原像』という本*3に大本についての記述があるのを発見して、それ以来、上田先生と大本との関係については秘かに気にはなっていた。その鍵となるのは上の記事でも言及されている亀岡の「小幡神社」*4であるようだ。Hyperion64という方*5の「神道と古俗を体得した史家 上田正昭教授」というエントリー*6では、

神官の道を最初にあゆみ、國學院大學に入学。その後、京都大学で史学を学び直す。こうした経歴から氏の学問には民俗学神道の知識や雰囲気が漂う独自なものとなる。

 重ねて、氏の来歴を面白くしているのが、大本教との関連である。上田という姓は出口王仁三郎の名と関連がある。実は、王仁三郎とは顔見知りであった。王仁三郎のフルネームは上田喜三郎だったことを思い起こそう。
 二人は小幡神社の氏子同士であり、上田家(に正昭は婿入りした)はその神官だったのだ。大本教と関係が深く、『大本七十年史』の編纂にも関与している。
 そう、出口王仁三郎をいまだに聖師と呼ぶくらいだ。ココらへんに、講壇歴史学者との違いがあるのだねえ。出口王仁三郎の精神的系譜を受け継いだ者を反日というのは土地勘が狂っているしか言いようがない。
 つまりは、神道の本義やその源泉を常人より知っているのだ。

と述べられている。因みに、画家の円山応挙*7もそもそも「上田」という苗字であったらしい*8。つまり同族?「河内王朝」を強調する『読売』の記事;

「河内王朝説」提唱、歴史家の上田正昭さん死去

読売新聞 3月13日(日)21時7分配信


 東アジア全体を見渡して古代日本を考えた日本史学者で京都大名誉教授の上田正昭(うえだ・まさあき)さんが13日、亡くなった。

 88歳だった。告別式は16日に近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。

 兵庫県生まれ。高校教諭を経て1971年に京都大教授となった。

 古墳時代の5世紀に、奈良盆地奈良県)の王権に代わって河内平野(大阪府東部)の勢力が王権を握ったとする「河内王朝説」を唱えた。一方で、畿内中心の古代史研究を批判し、各地域の歴史や文化を尊重する流れを作った。朝鮮半島などから渡ってきた人たちについて、かつて使われていた「帰化人」という呼称が「日本中心的な言葉」だとして、「渡来人」という呼称を提唱、定着させた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160313-00050149-yom-ent