- 作者: 丸谷才一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/10/10
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木田元、三浦雅士、丸谷才一「思想書を読もう」in 丸谷才一『ゴシップ的日本語論』、pp.223-261*1
今から引用する部分には、木田先生の発言は含まれていない。
また、『ゴシップ的日本語論』所収の「折口学的日本文学史の成立」*2に曰く、
三浦 (前略)丸谷さんは本居宣長の恋愛文学論が侵略主義に展開するという説をお持ちらしいですが、その話をうかがえますか。
丸谷 宣長は『源氏物語』が大好きなんですよ。ところが儒教は恋愛感情を否定する思想ですから、儒者たちは『源氏物語』を、これは姦淫の書だ、淫らなことを教える本だと攻撃したんです。原題のわれわれはシェイクスピアからプルーストまでの西洋の恋愛文学を知っているから、恋愛を描かずに小説が書けるもんかと思うけど、宣長は西洋恋愛文学を知らなかった。そこで、宣長はどう反論したかというと、中国人は野蛮な悪人たちだから、恋愛という優雅なことを否定するんだ、と。
三浦 過激ですねぇ、でも当たっているかもしれない(笑)。
丸谷 男女の仲を考えるにあたって、恋愛を抜きにして、ただ押し倒すことしか考えていない連中だ。だから――ここから飛躍するんだけど、そんな連中が暮らしている国は侵略してもかまわないと言うのが『馭戎慨論』という本なんです。あれは恐ろしい本だし、いやな本なんだけれど、宣長の誤解の動機には一掬の涙を注ぐことができなくもないんですね。(pp.246-247)
(前略)[折口信夫が國學院に入った]当時の日本文学研究法は、彼の目から見ると、まったく無力な、何の役にも立たない代物でありました。これは当然で、既成の日本文学研究は、英文学研究を手本にしてできたものでした。英文学研究はイギリス・ヴィクトリア朝のナショナリズムを背景にして成立したもので、十九世紀的な、ヴィクトリア朝的な思想によつて支配されてゐました。それは文学思想的に言ふと、写実主義を中心とする文学の考へ方でした。さらには、ヴィクトリア朝は実用を尊ぶ実利的な時代でしたから、文学をたいへん実用的な物の見方で考へる時代でもありました。十九世紀イギリスのヴィクトリア朝の写実主義とか実用主義とか、さういふ考へ方は、およそ日本文学を研究するのに不向きな思想だつたんですが、それを持つて来て日本文が書く研究法を作つてしまつた。
ただ、西洋文学は恋愛を肯定してゐるといふ事情がありまして、このことが、日本文学の研究者たちを無茶苦茶に喜ばせたのです。といふのは、日本文学の研究者たちは国学者の流れをくむ人たちだつたわけですけれども、本居宣長なんかが典型的にさうであるやうに、国学者たちは、中国の学問や文学が、儒教思想のせいで恋愛を認めない、恋愛に対して否定的であるといふことに困り果ててゐたんです。中国の文学の考へ方でゆけば、たとへば、『源氏物語』はみだらなことを奨励する文学作品であるといふことになるし、『古今』や『新古今』の恋歌は、猥褻なことを賞賛して大いにおこなへとするめる文学といふことになる。中国文学の考へ方から言ふと、これは非常に品のない、けがらはしい文学ですね。国学者たちが知つてゐる先進国の文学は中国文学しかなかつたわけですから、大弱りに弱つてゐた、といふのが江戸後期の国学者たちの立場でした。(略)
ところが、明治維新になつて、西洋から西洋文学がやつて来た。それはご承知のやうに、恋愛とふものを全面的に肯定する文学でありました。恋愛はいけないなんてちつとも書いてない。第一級の文学がみな恋愛を扱ふ。讃美する。それで、日本文学の研究者たちは、非常に安心して、ほつと安堵の息をついた。それで、西洋文学に寄りすがりついた。それはいいけれど、そのときに、実は彼らは西洋文学のなかでも、十九世紀西洋文学といふ写実主義の時代の文学に寄りすがつてゐるんだといふことはわからなかつた。(pp.137-139)
- 作者: 佐伯梅友
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*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517893783
*2:pp.129-147