小人閑居して

鈴木耕*1「高齢ネット右翼はどこから来たか?」https://blogos.com/article/337087/


熱湯浴自体は既に「退潮」期に入ったらしいけれど、60代や70代の熱湯浴が「最近、非常に目立」つと古谷経衡氏*2はいう。では、中高年層は如何にして熱湯浴になるのか。鈴木氏とその「知人のジャーナリスト」の推論;


60歳で会社を去る。65歳定年の会社もあるが、とにかくその辺りの年齢で、リタイアする。ほどほどの規模の会社で大卒の社員であれば、それなりの退職金が出る。とりあえず、定年後もなんとか暮らしていけるだけの貯えもある。しかし、会社一筋で地域との結びつきはゼロに等しい。

 やることがない。ボランティアという手もあるが、会社での地位というヤツが邪魔して、なかなか“一般人”とは対等につきあえない。

 会社人間、趣味も持たなかった。映画も読書も仕事とは関係なかった。旅行は会社の出張でイヤになるほどした。会社を辞めて時間はたっぷりあるが、やることがない。仕方ない、テレビでも観ようか…となる。


やることがないからテレビを観る。それまであまり観たことのなかった朝や昼のワイドショー。

 かつて、ワイドショーは家庭の主婦向けで、芸能ネタが多かった。ワイドショーの時間に家でテレビを観ているのは専業主婦が主体、女性週刊誌と同じ構造だった。

 しかし、定年後のオジサンたちは、最近の芸能人なんてほとんど知らない。とくに若いタレントなんか、男女を問わず名前の区別さえつかない。観ても面白くない。

 そのことに、テレビ局側もやがて気づく。中高年男性は、政治にはそれなりの興味を持っているようだ。そこでワイドショーは芸能ネタに加えて政治ネタを増加させる。視聴率が少々上がる。この傾向が顕著になったのは、2007年あたりからだったという。

 ところが、ここで視聴者と制作側の年齢ギャップが出てくる。新たな視聴者群は60〜70代の高齢者層だが、作る側は30〜40代でネット環境にどっぷりつかった年齢層だ。彼らが影響を受けたのは、いわゆる“ネット右翼”の台頭期であり、右派系雑誌が元気よかった時代でもある。

 しかもSNSが普及。「ネットではいま、こんな話題で盛り上がっています」だの「〇〇さんの発言が炎上中」などという話がワイドショーでも大きな部分を占めるようになる。

 暮らしには比較的余裕はあるが、やることのない定年後の人たちが、こういうところから刺激を受けて、パソコンやSNSにはまっていった。“炎上”ってなんか面白そう。で、初めて自分の参加できる場所が見つかる。


会社人間だったこの層は、デマやフェイクにはあまり触れたことがない。会社一途であればあるほど、情報は一方的に与えられ、それを疑うことはまずしなかった。

 そこへ、SNSによって「自虐史観」や「反日思想」などへの反発が刷り込まれる。初めて触れる“情報戦”。目が覚めた、今までの日本の歴史教育は間違っていた、ということになる。


 「日本が侵略されつつある」
 「日本が中国や韓国に一方的に責められるばかり」
 「何度謝罪すれば済むのか」
 「在日韓国人はこんなに優遇されている」
 「中国人は下等民族だ」
 「南京虐殺はなかった」
 「従軍慰安婦朝日新聞の捏造だ」
 「安倍政権を批判するヤツラは反日だ、売国奴だ」


 これらの激しい言葉が、砂に撒かれた水のように染み込んでいく。

さて。たしか、小林よしのり氏も

つまり年寄りしか雑誌を買わず、その年寄りがネトウヨ化しているという堕落の中で、「Hanada」や「WiLL」のようなネトウヨ雑誌しか売れないという腐敗が起こっている。
そこまでネトウヨ化を徹底できないというジレンマの中から、「新潮45」は崩壊の道を突き進んでしまった。

元凶はスマホ・ネットであり、ネトウヨ化した老人だ。
若い頃は学生運動をやっていた左翼だったくせに、今は大転向して、ネトウヨになっている。
しかも、自主独立の保守でもなく、対米追従ネトウヨなのだから阿呆もいいところだ。
反米だった者が、今や従米、安倍政権の提灯持ち。
死ねば地獄に落ちること、間違いなしだ。
(「漫画、雑誌、IT」https://blogos.com/article/331405/

と書いていた。また、佐々木亮弁護士に「懲戒請求」攻撃をかけて逆襲された「ネトウヨ」に関して、佐々木氏は

懲戒請求した人の年齢で、今分かってるのは、1番若くて43歳。40代後半から50代が層が厚く、60代、70代もおられる。今までネトウヨ諸君と呼びかけていたけど、年齢的に上の人が多そうなので、失礼だったかな?」
と述べている*3。また、佐々木氏と同様に「懲戒請求」攻撃を受けた北周士弁護士によれば、

北氏は請求者と話すと、良くも悪くも「純粋」な人が多いと感じたという。

「年齢は高めで、男性ばかりではなく女性もいます。なぜこんなことをしたのか聞くと、『朝鮮学校の無償化に賛成する人に懲戒を請求すれば日本がよくなると思った』と複数の人が答えました。ネットの掲示板に匿名で書き込む感覚でやっている。懲戒請求するとどうなるかという具体的な認識がなかった。『こんなことになるとは』、という連絡をもらうこともありました」

まあ、今後詳細な事例研究や統計調査が展開されることを期待したいとは思う。まあ、教訓は『礼記』に謂う「小人閑居為不善」*4ということだろうか。だとすれば、例えばブラック企業とかも「小人」から「閑」を奪うという意味ではそれなりの存在意義があったりして(笑)。
ところで、藝能ゴシップの知識に関するジェンダー差はここで言われているほど大きくないのではないか。藝能ゴシップについては、主婦はワイドショーで知り、(男性)サラリーマンはスポーツ新聞で知る。どちらも同じようなネタを扱っており、相互参照関係にあるのでは? 因みに、私は海外在住で、リアル・タイムで日本のワイドショーを見ることはできないのだけど*5、ニュース・サイトでスポーツ新聞の記事を読めば、ワイドショーでどんなことが語られていたのかというのは殆どわかってしまうのだ。

1960年代末から70年代初頭にかけて、日本に限らず世界規模で「反体制運動」が盛り上がった。当時のアメリカによるベトナム戦争への反対運動として高揚したものだったが、日本では各大学の「全共闘全学共闘会議)」が脚光を浴びた。その世代が1947〜50年生まれ(いわゆる団塊世代)という戦後ベビーブームでもっとも人数の多かったこともあって、団塊世代全共闘世代=反体制志向……という誤解を生んだ。

 しかし、ベビーブームのピーク時の1949年生まれは約270万人(ちなみに2017年は約94万人)だったが、その年代の進学期1967年の大学進学率は約16%であり、わずか43万人。残りの約230万人は「全共闘」とは関係なかったのである。

 しかも、当時の全共闘運動に参加したのは最盛期でも大学生の30%程度とされているから、同世代では5%ほどだったことになる。とても団塊世代=全共闘世代とはいえない。だから、団塊世代=反体制派というのも当たってはいない。ただ、時代の風は受けたのだから、多少は政治への関心は持ち続けたのではないか。それが定年後のテレビの政治ネタに反応した。
 団塊世代は、むしろ「金の卵」と呼ばれた中卒の集団就職世代というほうが妥当だろう。菅義偉官房長官も、秋田から高校の集団就職で上京した1948年の生まれだという。

前半で大卒サラリーマンを前提にしており、つまり彼らは「約16%」、「わずか43万人」に属する人たちであるわけだ。なので、「中卒の集団就職」を持ち出すのはちょっと的外れだろう。また、1960年代の「反体制運動」というのは基本的には(ライフ・スタイルも含む)文化的なものであり、政治闘争というのはその表現のひとつにすぎなかったのでは? 実際(少なくとも私にとっては)所謂「団塊の世代」に対する敬意の多くは文化的なものだ。例えば、若松孝二足立正生のピンク映画をリアル・タイムで観た世代に対する敬意。唐十郎*6寺山修司の芝居をリアル・タイムで観た世代に対する敬意。勿論、その音楽体験に対しても。例えば、


豪雨の後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード
霧の箱根のピンク・フロイド


という話になったら、唯々傾聴するしかないでしょう*7