頑なにメートル法に抵抗する人たち

元号と尺貫法、元号地震命名https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2019/03/04/070341


曰く、



元号以上に広く庶民に普及していた尺貫法を廃し、世界標準の理念の下にそれらをメートルやグラムに置き換えた時、伝統の破壊だとかいう論争は起きたんですかね。 https://t.co/y0knG5GhHG


— 吟味するスタンス (@outdated22) March 3, 2019
https://twitter.com/outdated22/status/1102102641155301376

 尺貫法は1950年代に書かれた松本清張の初期作品に頻出するし、同じ頃(1950年代後半)に書かれた城山三郎作品でも見かけた。尺貫法が廃止されたのは1959年だった。

 昔の小説で尺貫法に遭遇するたび、メートル法に換算するとどのくらいかわからず、面倒だなあと思ってしまうのだが、尺貫法の起源は元号と同様に中国だ。つまり「脱亜入欧」だった。今の「保守」の大勢は「脱亜入米」だから元号を廃止したって全然構わないじゃん。秋篠宮家の眞子氏も安倍晋三も西暦を使ってるし、安倍昭恵に至っては官僚に代筆させたツイート以外には元号を使うことはまずないと言われている。

尺貫法が廃止されたといっても、大工は曲尺を、和服の仕立屋は鯨尺を非合法に使っていたわけですし、今でも使っているんじゃないですかね。メートル法では日本建築は建てられないし、和服も仕立てられない。「廃止」からかなり経った後ですけど、まさに「伝統の破壊」という論点から尺貫法を擁護した人に永六輔師匠*1がいたということを忘れてはいけないと思う。
さて、「昔の小説で尺貫法に遭遇するたび、メートル法に換算するとどのくらいかわからず、面倒だなあと思ってしまう」ということだけど、実は世界で頑なにメートル法に抵抗している国がある。英国や米国。長さは、cmやkmじゃなくてインチやフィートやマイルだし、重さはgやkgじゃなくてオンスやポンド*2だし。米国の小説でインチやオンスに「遭遇するたび、メートル法に換算するとどのくらいかわからず、面倒だなあと思ってしまう」。
ところで、日本の度量衡と中国の度量衡はかなり違うので、最初に中国に行ったときは戸惑った。1kmは1公里。伝統的な1里は500m。重さだと、1kgは1公斤。また、伝統的な1斤は500g*3。伝統的な単位の方は市井の単位という意味で、市里とか市斤と呼ばれる。換算ということではわかりやすいのだけど、日常的には「公」や「市」は省略されるので、どっちなのかを確認しないと、厄介なことになる可能性がある。或いは、何グラムなのかと訊くこと。グラム(克)に対応する伝統的な単位はない。