村上一郎は?


三島由紀夫ってなんで読まれなくなったの?


思想史上文学史上の重要作家として名前残ってるけど

その小説は夏目漱石太宰治宮沢賢治みたいに複数の著作が未だに読まれてる作家に比べたら殆ど読まれなくなってるよなと思ったけど

上にあげた作家って著作権切れてたわ

著作権切れたら読まれる機会も増えるのかな
https://anond.hatelabo.jp/20190301015035

コピペしていて気づいたのだけど、この増田、「。」が全然ない!
先ず「殆ど読まれなくなってる」というのは幾ら何でも大袈裟。各社の文庫本の目録を見て、現時点で何点生き残っているのかを調べればいいよ。思うに、三島の生存率は夏目漱石太宰治なみに高いのではないかと思う。ただ、三島由紀夫の文庫本は圧倒的に新潮で、あと文春、ちくま、河出がちょっとという感じだから、そもそもあまり刊行していなかった文庫を見て、三島の生存率低い! と思ってしまうということはあるかも知れない。
さて、四方田犬彦中条省平「忘れ去られたひとびとの声を拾い上げる」*1から四方田氏の発言;

六八年から七二年のちょうどあいだの七〇年に[三島の]割腹自殺があるわけです。我々はいまだにあれが何なのかを理解できていない、絶対解けない謎を創った。でも、あれ以降、我々は昭和と言わず七〇年代とか八〇年代と言うようになり、昭和六〇年代とは言わなくなりました。昭和という時代を封じ込めてしまった事件であった気がします。
それから三島さんの近くに村上一郎という文学者がいて*2、このひとが六九年の六月十五日に学生たちと機動隊がにらみあっている傍らで一人で、その九年前安保闘争で命を落とした樺美智子の霊に敬意を表してというので刀を抜いて抜刀の儀をやったんです。右翼左翼関係なく、日本人として政治的殉教者の霊に応えるというのでやっていて、このひとはすごいと思いましたね。(p.55)
また、「村上一郎は三島と違い、全集も未完だし、忘れ去られていますけれど、村上一郎のようなひとがいたということ、そういういまは忘れ去られた多くの表現者が総体として六八年的なものを担っていたということを、できるだけ記憶しておきたかったわけですね」(ibid.)。
また、 中条省平の発言も切り取っておく;

(前略)三島は自分の肉体が信じられなかったから、ボディビルをやったりしたわけですけど、あの時代に大きなテーマだった肉体ということについて本気で考えたほとんど唯一の小説家ですよね。舞踏や演劇の世界には土方巽唐十郎など肉体を徹底して考え抜いた表現者はいましたけれど。(後略)(ibid.)
話を戻すと、増田にとっては、村上一郎なんかは最初から存在しなかったに等しいんじゃないかと思ったのだ。
でも、一時は文庫本の目録を何ページも占領し、また書店の文庫本コーナーの棚にずらっと並んでいたのに、急激に姿を消してしまった作家というのは、やはりいる。例えば、


石坂洋次郎*3
源氏鶏太


外国の作家だと、フランソワーズ・サガン*4。あと、冒険小説/暴力小説の西村寿行*5の本は現在生き残っているの?