岩絵と青蛙

山田英春「中国・広西チワン族自治区壁画撮影行 その3」https://lithos.hatenablog.com/entry/2025/02/17/000000


中国・廣西壮族自治区にある「花山岩画」*1について。
実は1989年の国慶節のときにこの「花山岩画」へ(政府の招待で)行ったことがある。その頃は、これから観光開発しようかという時期で、(私たちが泊った)ホテルが1軒建ったばかりだった。上記のエントリーの写真を見ると、2016年に世界遺産に指定されたこともあり、小ぎれいなヴィジター・センターができていてちょっと吃驚する。また、如何にも観光船という感じの船も。私が壁画を見たときは辺りが砂糖黍畑とジャングルだったけれど、それはあまり変わっていない。


「中国・広西チワン族自治区壁画撮影行 その5」https://lithos.hatenablog.com/entry/2025/02/19/000000


こちらは廣西の省都である南寧の「広西民族博物館」について。


銅鼓に特化した展示室があり、年代や地域ごとに異なる銅鼓がずらりと展示されていた。銅鼓というものを知ったのは、中学の頃に読んだ諸星大二郎の『孔子暗黒伝』*2だ。銅鼓の文化の発祥はこのエリアらしいが、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアと南の方まで分布している。

銅鼓の上面の端にはカエルの像がついているものが多い。カエルはこの地域で長く神聖というか、豊饒、多産をもたらす一種の守り神だったようだ。現在でもそれは続いているようで、カエル祭りというものもあるらしい。写真を見ると、人がカエルのポーズをしている。これはまさに花山の壁画で描かれる人のポーズそのものだ。壁画には銅鼓も描かれている。絵の年代は議論があるかもしれないが、壁画は絶えた文化の産物ではなく、現在まで続いているもののひとつだということだ。

「銅鼓」は基本的に考古学的文物で、現在のものではない筈だ。それから、「カエル祭り」*3というのも、少なくとも30数年前に私が廣西にいたときには何も知らなかった。民俗(民族)関係の本でも書いていなかったし、そのことについて話してくれた人もいない。その後も「 カエル祭り」につていの記述や写真や映像を見たことはない。私としてはかなり最近に(観光目的で)発明されたのではないかと疑っている。
私が中国南方の「銅鼓」について初めて知ったのは白川静先生の『中国の神話』*4においてだった。それによれば、「南」という字はそもそも「銅鼓」の象形だった。また、「 銅鼓」につけられた蛙は春になると冬眠から目覚める(生き返る)ということで、永生の象徴であり、「 銅鼓」自体も冬の間土の中に埋められて春になると再度掘り起こされることがあった。