亀和田武『60年代ポップ少年』*1から。
その「あとがき」に曰く、
しかし、こうも書いている;
60年代の”熱い”学生運動についても、私は懐疑的だった。文中で、私の親友、三田くんが「だって、ほかにおもしろいことねえから、デモに行くんだよ」と語ったように、私も何か他にやりたいことがあるのに、それを我慢してデモに通っていたわけではない。
六七年の秋から短い期間、十代後半の少年にとって、もっともわくわくするポップな出来事が学生運動だった。誤解を招く言い方になるが、私たちはベトナム人民や成田の農民のために、無理してまで機動隊と闘ったのではない。楽しくて仕方ないから、街頭に躍りでたり、バリケードに立てこもったのだ。(p.345)
私がセクトに入ったのは、自分の学園で退路を断つためだった。好きなときだけバリケードにきてデモに行くノンセクト学生のようにはなりたくない。党派に入れば、そんなみっともない真似はできない。私は自分の怯懦も小心も知っていた。だから党派の同盟員になることで、己の弱さを鍛え、封印しようとしたのだ。
マルクス・レーニン主義も、前衛党建設も信じたことはなかった。自分にとって何のリアリティもない党派対立で、知らない連中に鉄パイプを振るったり、恨みもない旧知の学生を殴ったりするのは嫌だった。
「俺も、そろそろ辞める潮時かな」。ある日、三田くんに告げた。「お前の気持ちは、わかってたよ。顔みると、シンドそうだったし。でも、俺はもう少し一緒にやりたいんだけどな……無理か?」「うん……楽しくなくなったんだよ。党派の活動やってるのが」「そうか、面白くなくなったら、辛いもんな」。
短い沈黙があった。「わかった。おまえは自分の決めたようにしろよ。俺はもう少しつづけてみる。何しろ大学に入って、まだ三か月だからな」。そういって三田くんは笑った。(略)予備校の帰りに二人して、飯田橋のギンレイホールに寄ってゴダール映画を観たり、池袋文芸坐のオールナイト上映会に一緒に行ったことを思い出して、ちょっぴり感傷的になった。(「スカラ座で観た『イージー・ライダー』と、2Fの雀荘スカラで費した膨大な時間。」、pp.338-339)
