- 作者: ヴァールブルク,Aby M. Warburg,三島憲一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/11/14
- メディア: 文庫
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「人間に対してやさしい、古典的美しさを伴った喜ばしい蛇」(p.72)の登場。「医術の神」である「アスクレピオス」。
(前略)蛇は旧約聖書では、バビロンの原母神蛇ディアマトと同じに、悪の権化であり、誘惑する霊でありました。ギリシアでは、地下に住んでいっさいを容赦なく食らい尽くす存在でした。復讐の女神エリュニュスには髪の代わりに無数の蛇が巻きついていました。そして神々は、罰を与えるときには、死刑執行人として蛇を遣わしたのです。蛇を、地下の世界から遣わされた滅びの力と見るこのイメージは、ラオコーンの神話とあのラオコーン群像の彫像においてもっとも強力な悲劇的象徴へと結実しております。神官ラオコーンとその二人の息子に神々の復讐が下り、彼らが蛇によって絞め殺されるというシーンは、古代のもっともよく知られたあの群像において、人間における最大級の苦痛の強烈な表現となっております。神官ラオコーンは、ギリシア人の策略に対抗する警告を発してみずからの民を助けようとしたのですが、この予言によってギリシアの肩を持つ神々の怒りに触れました。魔神の復讐によってもたらされたこの死には、いかなる正義もなく、また救いへのいかなる希望もありません。古代における、希望を知らぬ悲劇的ペシミズムがここにあります(図27*2)。(pp.70-72)
この世を去った魂の神であるアスクレピオスの高貴で清澄な姿は、蛇が棲息している地下の世界に根を下ろしていました。この神に対するもっとも古い崇敬は、蛇の姿への崇敬だったわけです。つまり、この世を去ったアスクレピオスの魂そのものが蛇の姿を取って生き続け、このように現れ出ているのです。というのは(略)蛇というのは(略)みずから脱皮することで、身体がいわば生ける鞘から抜け出すようにして、自分の皮膚を捨てて、再び新たに声明を存続させるそのさまを、蛇はみずからにおいて体現している存在なのです。蛇は大地の中に這い込むこともできれば、そこから新たに姿を見せることもできるのです。死者たちが安らぐ地の底の冥界から帰還するゆえに――また脱皮して新たな皮をまとうここともあいまって――、蛇は不死のシンボル、病と死の苦しみからの再生のシンボルとなるのです。(pp.72-74)
ヴァティカン図書館所蔵の「一三世紀スペインの暦の図表」で「蠍の姿に図像化」されたアスクレピオス*3。
小アジアのコス島にあるアスクレピオスの聖地には、人間の姿に変容したこの神の超克が立っています。手には蛇の巻きついた杖を持っています。しかし、アスクレピオスは生命なき石の顔の中にいるのではなく、彼本来の、もっと強力なありようは、この聖地の最奥に現実に棲息する蛇の中に生き続けているのです。(後略)(p.75)
世界の何処でも、ヴァールブルクが言うように、凶暴な殺し屋としての「蛇」のイメージが「不死のシンボル」としての「蛇」のイメージに先立つのかどうかはわからない。「蛇」の「脱皮」というのは容易く観察できる現象である筈だからだ。また、古代オリエントやヨーロッパでは注目されなかったのか、ヴァールブルクは「蛇」の冬眠(と春の目覚め)に言及していないけれど、この毎年の死と再生も「蛇」が「不死のシンボル」となった契機のひとつだったといっていいだろう。中国南方の少数民族においては、やはり冬眠と春の目覚めのために、蛙が「不死のシンボル」として信仰される(Cf.白川静『中国の神話』*6)。
(前略)宇宙論的な想像力を通じてアスクレピオスは変容され、われわれの周囲の現実、直接的にわれわれの力によって変更を加えうるもの、地下のもの、卑俗な現実からまったく手の届かない存在となってしまったのです。恒星神としてのアスクレピオス*4は十二宮(図30)*5の蠍座の上に立っています。その姿は蛇に取り巻かれていますが、予言者や医者はこの星の下に生まれるとされていました。蛇の神はこのように星と化すことで、輝くトーテムとなったのです。こうしてアスクレピオスは、一年のうちでもその星座がもっともよく見える月に生まれた者たちにとって、宇宙における父の役割を果たすのです。古代の占星術において数学と魔術が合体していることが分かります。というのも星空にはこれ以外に、海蛇座の蛇が見られますが、この空の蛇は数学的な距離を決めるために用いられました。空に輝くいくつかの点が、地上の物たちのイメージに枠取りされることで、他の方法では捉えようのない宇宙の無限の距離がなんとか捉えられるようになったのです。こうしてアスクレピオスは距離を示す数学的な記号であると同時に、フェティシズムの担い手でもあるのです。こうして感覚的で生命に満ちた荒々しい存在が色褪せて、数学的な記号へと化するその度合いがまさに、理性の時代へ向かう文化の発展を示すのです。(pp.77-79)
- 作者: 白川静
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/01/25
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*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/09/030944
*2:ヴァティカン美術館所蔵の「ラオコーン群像の彫像」。p.71
*3:「図29」、p.76
*4:蛇使い座。
*5:p.78
*6:Mnetioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061106/1162752516 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100113/1263357673 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100526/1274812895 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110901/1314885441