負けたから?

亀田俊和南朝の真実』*1の副題は「忠臣という幻想」。


「内紛まみれで不忠の足利氏、一致団結した忠義に厚い南朝」――こうした「南朝忠臣知史観」は古来から伝統的に根強く存在していた。この歴史観が最も鮮明に表れている典型的な一例として、平泉澄*2の学説がある。
平泉はいわゆる皇国史観を集大成した、戦前の代表的な日本中世史家である。この平泉が、戦後の高度経済成長期のまっただ中、昭和四五年(一九七〇)に著した『少年日本史』という本がある。この本は戦後衰退した皇国史観の復活を目指し。当時の子どもたちに平泉の歴史学を伝える目的で書かれたものである。子ども向けだけに平泉の主張が平易に述べられており、彼の歴史思想、それも晩年の完成したものを手っ取り早く理解するには最適の本である。(pp.5-6)
平泉の叙述は、

彼等(引用者*3註―足利氏)には道徳が無く、信義が無く、義烈が無く、情愛が無いのです。あるものは、只私利私慾だけです。すでに無道であり、不信であり、不義であり、非情であれば、それは歴史に於いて只破壊的作用をするだけであって、継承及び発展には、微塵も貢献する事は出来ないのです。(Cited in p.6)

それ故に吉野時代(引用者註―南北朝時代)がわずか五十七年の短期間であるにも拘らず、我が国の歴史に貢献する所、極めて重大であり、記述するべき事の豊富でありますのは、一に吉野の忠臣の忠烈、日月と光を争った為であって、足利主従は之に対して逆作用をしたに過ぎないのであります。従って其の吉野の忠烈さびしく消えて、世の中は只足利の一色に塗られた室町時代は、たとえ時間の上では百八十二年、吉野時代の三倍を超えたにしても、是と云ってお話すべき価値のあるものは、無いのです。(Cited in pp.6-7)
さらに、

そして、この歴史観は現代においても、少なくとも特に年配の一般の歴史愛好家の間で依然根強く持たれているとおぼしい。いや、専門の歴史学者もさすがに皇国史観ほど極端ではないにせよ、こういう印象を抱いている方は多いかもしれない。つまり、南朝重臣や武将たちも、平泉が協調するほど聖人君子の集まりではなかっただろう。しかし、それでも幕府の内訌の激しさや、好色・凶暴で著名で当時「婆娑羅」と称された高師直以下幕府諸将の不道徳ぶりに比べればましであった。こう漠然と思っている人は多いのではないだろうか。(pp.7-8)
亀田氏は、それを「戦後の歴史学南北朝正閏論争をまったく問題にしなくなったこと」(p.8)に関連させている。「戦後の実証主義歴史学者にとって、南朝の道徳的優越性や、楠木や北畠の美しい敢闘精神など、言ってしまえばどうでもいい、とるにたらない問題」になり、「南朝忠臣史観は十分に検証されることなく、今なお一般に残存した側面もあるのではないだろうか」(ibid.)。
それよりも「南朝」が略完全な〈敗者〉であることが大きいのでは? 〈敗者〉であることによって、平家の落人や源義経に続いて〈判官贔屓〉の対象となる。
ところで、多くの人にとって、高師直って、南北朝時代の武将であるより、『仮名手本忠臣蔵』のヴィランではないのか*4