「古代楚の屈原も湖南人、と言ってよいのか」

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100111/1263182076に対して、「古代楚の屈原も湖南人、と言ってよいのか?」というコメントあり*1。現在でも、湖南や湖北の人は楚人と自称することが多いわけですし、『楚辞』*2においても洞庭湖を初めとする現在の湖南・湖北が重要な役割を果たしていることはいうまでもありません。また、屈原を追悼したことに端を発するとされる端午節も湖南省汨羅が起源とされている*3。ただ、寧ろ清朝末からの「湖南ナショナリズム」の昂まりの中で、一種の〈伝統の発明〉として屈原は〈我ら湖南人の祖〉として再定義されていったという面が強いようです。『楚辞』については、ここで「湖南ナショナリズム」とは全く関係のない、興味深い解釈を示している例として、井筒俊彦先生の『意識と本質』(p.181ff.)をマークしておきます。

楚辭―譯註 (岩波文庫 赤 1-1)

楚辭―譯註 (岩波文庫 赤 1-1)

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

楚は周に対して、自らを夷と称し、服属を拒んだ*4。楚を漢族よりも寧ろ苗族と結びつけて考える人も多いのでは(See eg. 石茂明『跨国苗族研究:民族與国家的辺界』*5)?
楚といえば、白川静先生(『中国の神話』)によると、楚では「虎」を「於兎」と呼ぶので、寅年生まれの人には於兎を名前に使うことが多い。
中国の神話 (中公文庫BIBLIO)

中国の神話 (中公文庫BIBLIO)

ところで、作曲家の譚盾*6も湖南人。その『鬼戯(Ghost Opera)』は下放されていた湖南省の山奥で地元の農民から聞いた怪談話が元になっている。また、現在米国在住の哲学者、李澤厚氏*7も湖南人。

Ghost Opera

Ghost Opera