堀江敏幸『雪沼とその周辺』

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

先週末に堀江敏幸『雪沼とその周辺』を読了。


スタンド・ドット
イラクサの庭
河岸段丘
送り火
レンガを積む
ラニ
緩斜面


解説(池澤夏樹

「雪沼」という山間にある架空の一帯に生きる人々を描く連作短篇集。それぞれの主な登場人物は語り手によって「さん」付けで語られている(但し、「イラクサの庭」の場合は「小留知先生」)。同じく連作短篇集である『未見坂』*1と同様の趣向。ただ、『雪沼とその周辺』で印象的なのは、「雪沼」の人々生を共にするレトロ(時代遅れ)なモノ(機械)たちの存在だろう。例えば、「スタンド・ドット」における「ブランズウィック社製の最初期モデル」のボウリング場設備、或いは「レンガを積む」における「時代がかった家具調のステレオ」(p.120)。また、存在の緩さという感覚。この〈緩さ〉を端的に表しているのは、「緩斜面」の「香月さん」の会社の「経理の洞口さん」だろう。曰く、

(前略)洞ちゃんの大口、と同僚たちは彼女を怒らせて楽しんでいるけれど、たしかに彼女と話をするとなぜかこちらも頬がゆるんで気持ちが楽になる。洞ではなく、祠に参るような感覚だった。彼女が通っていた経理学校の教師によれば、経理で大切なのは、ここぞというときにうまく気を抜くこと、適度にいいかげんであることだそうだ。香月さんの常識からはだいぶはずれた発言だが、生活を左右する数字のならびは数学の先生が使っているのとはべつのものだ、抽象概念ではないし冷ややかな数字の羅列でもない、生活の重みが乗っかった人間味のあるものでなくてはならない、そのためにはもっと隙をつくるようにと先生は話していたらしい。それで計算ミスでもしたら、元も子もないじゃないかと香月さんが呆れると、まちがえたらやりなおせるでしょ、全問正解の経理って、めちゃくちゃ退屈なんですよ、と洞口さんは平気な顔で言うのだった。
「あんまりぴたっと数字があうと、かえって気分が悪いんです。机のうえの書類をぜんぶ窓から放り投げたくなる」
「そんなものかな」
(後略)(pp.173-174)
但し、この〈緩さ〉が拡散しないよう重しを加えているのが(本文からは消えてしまった)死者の存在なのかなとも思った(特に、「送り火」と「緩斜面」)。
「解説」の池澤夏樹*2の文章も切り取っておく;

では、雪沼はどこあるか?
かつて正徹は「吉野山はいずくにありや」と自ら問うて、それは歌の中にしかないと自ら答えた。歌枕というのはそういうものであり、文学作品の舞台となる土地はいずれもある程度まで歌枕である。
日本の地名で「雪」を冠したところは希だ。県名にも大きな都市の名にもない。本来「雪」は地名に選ばれる語ではないらしい。山や川、田や野や谷などの地形を示す言葉と違って、雨や風などの自然現象は地名になりにくい(たぶん同じ理由から姓に使われることも少ない)*3
二十年以上の昔、ぼんやりと道路地図を見ていたぼくは、「雨崎」という小さな地名を見つけた。あめが付く地名は珍しく、それにずいぶん詩的だと思ったから覚えておいて小説の中で使った。日常的ではない行為の場としてこの地名は効果があった。
だから雪沼はないだろう。日本人の自然観からは生まれるはずのない地名なのだ。
それを承知で命名された幸福な雪沼は、やはり作者のたくらみの産物、今の日本にはあり得ない場所である。(pp.205-206)
未見坂 (新潮文庫)

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