「二人」の伝記

池澤夏樹*1「二人の作品の精読による立体的な評伝」『毎日新聞』2021年6月19日


趙怡『二人旅 上海からパリへ 金子光晴・森三千代の海外体験と異郷文学』の書評。


一九二四年、詩人金子光晴*2は女子師範学校の生徒だった森三千代と出会い、同棲を始めた。それから五十年あまりをほぼ共に過ごした。その間にはそれぞれ他の相手と何度となく恋愛を重ねているが、それでも三千代と光晴は(古い言い回しを使えば)、添い遂げている。

この本は二人の文学者の旅の詳細な解析であり、二人が海外を転々とした十数年を書いた作品の深い読み、夫婦という大雑把な言葉ではとてもまとめきれない仲、ないし縁、己の運命を賭けての格闘の記録であり、二人の作品の精読による立体的な評伝である。

一方で世間は森三千代を閑却したかもしれない。今になって振り返れば彼女の文才は光晴の影に隠されたかのように見える。
本書の価値は三千代に光を当てたことにある。巻末の十八ページに及ぶ「森三千代作品リスト」五百点を見て、よくもこれだけの資料を精査したものだと感心する。
そのうえで、読了して、思うのだ。この二人にとって最大の作品はそれぞれの人生ではなかったかと。いかなる魅力によって三千代は土方定一*3・紐先銘*4武田麟太郎*5と少なくとも三人の熱中の恋人を得たのか、あるいは光晴はなぜ十数年を共に過ごした大川内令子*6と分かれて七十歳にしてまた三千代と三度目の復縁をしたのか。