名探偵の前世?

承前*1

天海僧正を巡ってWikipediaをちょっと読んだりしたのだけど、天海=明智光秀説というのは、大衆小説やゲームのようなサブカルチャーにおいては、既に定説に準ずる地位を確立しているんだなと感じた。勿論、山崎合戦後の明智光秀*2生存説はそれだけではない。そのひとつとして、岐阜県山県市中洞には、光秀が落ち延び、「荒深小五郎」と改名して関ヶ原の戦い頃まで生き延びたという伝承がある」というのがある*3


山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。



生誕の地と伝わる中洞地区
山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされています。

この地区の伝承によると、光秀は土岐四郎基頼と、中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、その後、明智城明智光綱の養子となったと伝えられています。

誕生にまつわるものとして、中洞白山神社境内には、光秀の母が産湯の水を汲んだという井戸が残されています。また、地区内を流れる武儀川には、光秀を身ごもった際に母が「生まれてくる子が男の子であれば、たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったという行徳岩があります。


光秀はこの地で生きていた!?
中洞地区の伝承では、本能寺の変(家康が「伊賀越え」を行う要因となった事件)のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、中洞に落ち延びて住んでいたと伝えられています。

光秀は郷里の中洞に落ち延びた後、山崎の合戦で討ち死にした影武者・荒木行信の忠誠に深く感銘して「荒」と「深」をとって、自ら荒深小五郎と名乗り、この地で暮らしていました。その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされています。

中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回(4月第2日曜日、12月第1日曜日)供養祭が行われています。
岐阜県観光連盟「明智光秀の墓(桔梗塚)」https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_5942.html

この周辺には「荒深」という苗字の人が多く*4、「明智光秀の墓」の「観光地化」のためのクラウドファンディングを提起している「明智光秀の墓観光推進委員会」の代表も荒深さんなのだった*5。これは、地元の有力同族の貴種流離譚的な起源(先祖)伝承という側面があるのだろう。
さて、「小五郎」と「明智」ということで、やはり想起されるのは江戸川乱歩*6がつくり出した「明智小五郎」というキャラクターだろう。三重県生まれの乱歩は美濃のこの伝説を知っていたのだろうか。名探偵に命名するに際して、この落武者を転生させたのだろうか。