巽孝之*1『100分de名著 エドガー・アラン・ポースペシャル 「ジャンル」の創造者』から。
「推理小説」という名称を考えたのは木々高太郎だったのか! その際に、彼はポー謂うところのratiocinative talesを意識したのだろうか?
推理小説のことを今日の英語ではdetective fictionとかdetective storyと表現するので、本来はそれを直訳して「探偵小説」と呼ぶのが正しいでしょう。日本でも、ポーの衣鉢を継ぎ、ペンネームにまでしてしまった江戸川乱歩が、このジャンル名を尊重し、戦後、現在の日本推理作家協会の母胎となる探偵作家クラブを結成しました。同じジャンルを英語ではmystery fictionとも呼び、それが日本で現在広く使われている「ミステリ」の由来となっています。
しかしポーは、自身が編み出した新しいサブジャンルを「探偵小説」にも「ミステリ」にも収束しない、ratiocinative talesという名で呼んでいました。ratiocinativeというのはratiocianation(推論)の形容詞形ですから、「推論能力を働かせる小説」、まさしく「推理小説」です。わが国で推理小説という名称を編み出したのは、水谷準の助言を受けた作家・木々高太郎だったと言われていますが、その起源がポー自身の命名だったことは、必ずしも共通了解ではありません。ポーが推理小説の父であるとともに、推理小説という名称の父でもあったことは、もっと強調されてしかるべきでしょう。(pp.76-77)
さて、子どもの頃の記憶。てんぷくトリオのコントで、三波伸介が探偵小説という言葉を発すると、伊東四朗が、何時代遅れなことを言っているんだ! 今では推理小説というし、オシャレな人はミステリーと呼んでいるんだ、とつっこみを入れるというのがあった*2。まあ、一般の認識も同様で、「探偵小説」というと、松本清張以前の、所謂古き良き本格推理小説*3のことを指していたと思う。推理小説の方は、松本清張以降の現代作家を主に指していたと思う。因みは、このコントを視たのは、角川春樹が仕掛けた横溝正史文庫化の前である。
なお、「推理小説」のテクスト論的特性について。
『モルグ街の殺人』は、「読むこと」を、西洋文学の内部で初めて自覚的に主題化しました。名探偵が事件の謎や他者の思考を「読む」ことに重ねて、読者が小説の謎を「読む」ことで解明していく構造は、いわば小説を「読むこと」自体のかけがいのなさを、読者に訴えているように思えます。詩は美を表現し、小説は真実を表現すると考えていたポーは、「推理小説」に小説そのものの本質的な可能性を求めたのではないでしょうか。(p.78)
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091124/1259077779 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160312/1457788330 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170512/1494553215
*3:See eg. https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/05/13/112758 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/05/16/154458