サンディカリスム的転回?

林哲夫*1中核派全学連のトップに現役東大2年生が就任 新委員長の高原恭平氏インタビュー」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180831-00000060-sasahi-soci&pos=3


中核派」というのは既に「最近では聞き慣れない言葉」なの? 


9月1、2日、中核派全学連大会が開かれた。

 同大会で全学連委員長に高原恭平氏が就任することが発表された。高原氏は1996年生まれの21歳。東京大教養学部2年生である。


中核派全学連委員長は最近まで元法政大の斎藤郁真氏(30歳)が7年ほどつとめていた。昨年、衆議院議員選挙で東京8区から立候補しており、社会運動の関係者のあいだでは知られた存在ではある。その斎藤氏に代わって、高原氏が就任する。
1996年生まれということは、天安門事件や伯林の壁の崩壊は勿論のこと、地下鉄サリン事件も知らないわけだ。今の大学生というのは既にそういう世代なんだね、と中高年的に溜息をついておくけど、東大から中核全学連の委員長というのは、左翼業界についての生半可な知識がある人にとってはやはり軽い驚きなんじゃないか。私が大学生だった頃、東大駒場といえば、民青とカクマルと解放派が三つ巴になっていて、中核派が入り込む余地は殆どなかったのだった。

――中核派に入ったきっかけは何ですか。
 
 2015年に東大入学後、すぐに駒場自治会活動をはじめます。そのころから学生運動を再建しなければならない、運動をもっと盛り上げていこうと思っていました。翌年、中核派全学連メンバーから話を聞くようになり、中核派のこれまでのバカ正直な闘い方に魅力を感じるようになりました。彼らが運営する「前進チャンネル」や駒場で撒かれたビラのクオリティーの向上をみて、中核派が「本気でやっている」と感じたことが大きい。わたし自身、革命をめざしており、党派として原理原則を貫く中核派の姿は正しいと思ったからです。自分にとって中核派の活動がしっくりきました。

――暴力革命、武装闘争を否定しない中核派に反発する声が多くあります。
 
 国家権力は暴力である。わたしは、中核派に入る前から、カール・シュミットマックス・ウェーバーなどを読んで、国家権力のあり方を考えてきました。国家権力に対抗するためには暴力しかない、ということです。その上で、中核派が大学や街頭で火炎ビンを投げたような闘争を、いますべきかといえば、そんな時期ではない。このような武装蜂起は、幅広い労働者階級の支援がなければやれるものではない。広範に支持されない闘争はすべきではない。一方、国会での議論はペテンである。そこで、わたしたちはゼネストを打って革命をめざす。そういう理解のされ方でいいと思います。ただ、いまの安倍政権を見て、むかし中核派がやっていたヤバイことをしなければ体制は変えられない、という声も出ている。それは一理あるでしょうね。
「火炎ビン」じゃなくて卵やトマトを投げてもいいと思うのだけれど。それはともかくとして、カール・シュミットマックス・ウェーバーは読んでも、ハンナ・アレントは読んでいないというのは、やはりまずいだろうと(私は)思う。彼女の「暴力について」*2を読んでいれば、「暴力」観はかなり変わってきた筈だ。勿論、アレントにせよ私にせよ、「暴力」反対などというおばかを行っているわけではない。
Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

ゼネストを打って革命をめざす」という。また、この後の方でも、

(前略)15年、国会前で安保関連法案反対の運動が盛り上がりますが、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)*3には違和感がありました。デモでは何も変えられない、ストライキを行ったほうが効果的ではないかと思ったからです。
と言っている。
ゼネスト」を実現することはそんなに容易なことではないだろうとは思うのだけれど、「ゼネストを打って革命をめざす」というのは、レーニン主義というよりも(アナーキズムの一派である)アナルコ・サンディカリスムに近づいているんじゃないかと思った。というか、レーニン主義(ボルシェヴィズム)というのはアナルコ・サンディカリスムとの対決において出てきたイデオロギーでしょ。レーニンによれば、労働運動だけでは、いくらストライキを打っても、世の中はひっくり返らないということになる。

――中核派を語る上で、革マル派との内ゲバについて避けて通れません。
 
 わたしが生まれる前のことなので、その当時のことはわかりません。「カクマルとの戦争はやるべきだった、そうでないと日本の革命運動は壊滅してしまうところだった」――これは中核派を離れた人、中核派でなかった人からも聞く話です。わたしもそれに賛同します。だからといって、いまはカクマルと戦争にはならないでしょう。東大生としては、1969年1月の安田講堂攻防戦でカクマルが法文2号館から逃亡したという事実は許せませんけど。
中核派とカクマルとの内ゲバ戦争に関しては、私は、どっちもどっちという中立的なスタンスではない。中核を支持するわけではないけれど、少しばかりは同情している。他の党派の解体を公言し、妙ちくりんな陰謀理論を振りかざすカクマルというのは論争や批判が容易く通用する相手ではないだろうからだ。但し、その政治的な意味については厳しく問い直さなければいけないだろう。例えば、内ゲバ戦争が1960年代には左翼勢力に対して同情的だった世間の人びとをドン引きさせ、結果として、長期的な右傾化のトレンドに貢献してしまったということはちゃんと認めるべきではあろう。