記憶の変容?

濱口桂一郎「若き日の池田信夫氏」http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-44b0.html


池田信夫*1の呟きが引用されている;


私の友人は2人、中核派に殺された。それも誤爆だった。これから反原発デモに参加する人は、鉄パイプで殴り殺されるリスクを覚悟したほうがいい。
http://twitter.com/#!/ikedanob/status/206617042676224001
池田氏は2007年に、

私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マル駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87b82fb7d88e3e98eaf045b8401db2c7
と書いている。
この2つの「ゲバ」は同一の事件なのだろうか。ただ濱口氏は同一であることを前提に書いている;

池田氏の学生時代の末期はわたくしが駒場にいた頃と重なっていますが、少なくともわたくしが入学した時に先輩からこんこんと教えられたのは、社会科学研究会は革マルのフロントだから近づかない方がいいよ、という忠告でした。

それがどこまで正しい忠告であったか否かを判断することは、関わらなかったわたくしにはできませんが、少なくともそういう認識が一般的であったことは事実です。

さらに、わたくしが入学してすぐ、駒場で開かれていた革マル派の集会に顔を出していた新入生が、襲撃してきた他のセクトに殺されるという事件も起こったりしていて、ますます命が惜しければ社会科学研究会には近づかない方がいい、という雰囲気がありました。

もとより、セクトと無関係だった当時の一学生の感想に過ぎませんが、若き日の池田信夫氏が部長を務めていた社会科学研究会のメンバーが4人も中核派に殺されたのが全くの「誤爆」と言えるのかどうかには、いささか疑問があります。

2007年版と2012年版を比べると、


殺された人数:4人/2人
被害者の所属:「革マル派」/無所属(「誤爆」)
殺した主体:「中核と革労協*2/「中核」


という違いがある。これは記憶の変容なのだろうか。そもそも別の事件なのだろうか。
「ゲバ」の舞台となった「社会科学研究会」が2つあったという証言も出て来て、話はさらに複雑になっている*3


このI氏の発言は大嘘です。
彼が学生時代に部長を務めていたのは学館の社研であり、当時某Kセクトの巣窟となっていたのは寮の社研でしたから、両者はまったく別物です。
以前大阪にhamachan先生がお出でになったおりにじかにお話したかもしれませんが、私は前者で彼と一緒でした。
そちらにも、党派でいえばトロツキーを思想的始祖とする某4セクトの人がいましたが、I氏も私も無党派でした。
その点の発言は間違いありません。
ユーフォリックな1960年代とも脱政治化がデフォルトとなった1980年代以降とも違う、その中間の1970年代*4 に大学生活を送った人々による貴重な証言というべきなのだろうけど、その一方で記憶は自ずと風化し或いは変容していくという当たり前のことも露呈したということなのだろうか。