団塊の世代など

聞きまくり社会学―「現象学的社会学」って何? (ist books)

聞きまくり社会学―「現象学的社会学」って何? (ist books)

『聞きまくり社会学*1の終わりの方で、「聞きまくる人」である岡敦氏が西原和久氏に対して、
私たちの世代(一九六〇年前後の生まれ)は、団塊の世代に対してアンビバレントな思いを持っているんですよ。批判の対象なのだけれど、同時に、彼らの生きた六〇年代に「一時は憧れてしまった」という悔しさもある。すべての世代に言えることかと思いますが、先行する世代への「反応」として自己を形成してきたような面もあります。ですから、「団塊の世代のココが嫌い!」といった一方的な悪口話ではなく、彼らが後に残した状況や考え方、その功罪を一度きちんと論じておきたいのです。(p.157)
といっている。勿論、私たち〈浩宮世代〉でも荷宮和子(『若者はなぜ怒らなくなったのか』)のように、団塊世代DQNだからその息子(娘)たちである団塊ジュニア(より最近の言い方だと、ロスジェネ)もDQNなのだと団塊の世代を全面的に否定する人はいる。しかし、私は上の岡氏のようなスタンスの方によりリアリティを感じる。実際、私の場合、学問上の師匠筋にも、また尊敬する学者の方々にも、広義の団塊世代、さらには「全共闘崩れ」*2に属する方が多く、団塊の世代を一括りに否定してしまうと自分自身も否定してしまうことになるという感じはある。だから、関良基氏がhttp://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5で書かれているようなことを読むと、その議論の半分以上は正しいと思いつつも、そのように一括りにするってどうよとも思ってしまう*3。これはもしかしたら自分のアイデンティティを護るためということもあるのかもしれない。また、かのせさん*4が述べているように団塊全共闘という括りこそを再考すべきあろう。それはさておいても、関良基氏の議論に対して、色々と突っ込むことは可能だろう。例えば、無党派(黒ヘルメット)として闘った人々と個々の闘争(戦闘)を〈革命〉のための1プロセスとして位置づけていた諸党派の人々を同列に論じることはできないとか、全共闘以外にもあの時代多くの若者が参加していた「べ平連」についてはどうなんだとか。さらに、狭義の政治ではなく、音楽、演劇、ファッション等々におけるこの世代の影響もちゃんと位置づけるべきではあろう。さて、

全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。すでにして彼らは、こうして後の世代に多大な負債を残しているというのに、あろうことかこの期に及んで、貧困に苦しむ若い世代の新しい運動に対して、「自己責任」と罵倒しながら冷水を浴びせかけるなんて、私には断じて許せない。彼・彼女らに対しては断固として闘わねばならないと思います。
と述べられていることについて。「その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと」の責任は「全共闘」そのものよりも寧ろ1970年代の連合赤軍及び内ゲバ戦争にあるのではないかということは言っておきたい。また、全共闘連合赤軍内ゲバ戦争との関連についてはさらに思考する必要があるだろう。また、この世代に属しながら、例えば田島正樹氏は「全共闘」の致命的な欠点について自己批判的に高度な政治哲学的思考を展開していることを指摘しないわけにはいかない*5

Patrice de Beer “May ‘68: France's politics of memory” http://www.opendemocracy.net/article/institutions/may_68_remember_or_forget


仏蘭西でも「五月」*6世代に対する道徳的バッシングは相当に熾烈であるらしい。サルコジ大統領を先頭として。それに対して、サルコジ支持者でもあるアンドレ・グリュックスマン*7サルコジのようなバツイチの「混血児」が大統領になれたのも「五月」抜きには考えられないではないかと嗜めたという。
ところで、「五月」の主要なスローガン、Il est interdit d'interdireは現在ますますその価値を高めているとも思う。