「日」に「反」するためには

承前*1

どうして矢切の渡しじゃなくて八切止夫の先住民史観を採り上げたのかといえば、http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091022/1256209599で「東アジア反日武装戦線“狼”」のテクストが引用されているのを読んだということもある。その中で、先住民史観は「日帝国家権力を打倒するだけではなく、建国以来千数百年の歴史的実績をもつ文明搾取階級社会・世界的主力帝国・日本という国家的枠組、その政治・経済・文化的土台をも解体する世界革命」云々という箇所に刻印されているわけだ。
「日」に「反」するためには「日」が確固たるものとして構築される必要がある。そのように構築されていないものに「反」することは難しいのだ。「日」が超歴史的なものとして本質主義的に構築されてしまっていること*2がより重要な問題であって、それに比べれば、左か右か、反日か排外拝外主義的ナショナリズムかというのは寧ろマイナーな問題だともいえるのでは?