努力?

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堀井憲一郎『若者殺しの時代』という本に基づいて、所謂「バブル」の時代を語っているのだが、ちょっと気になった点が幾つかあった。因みに、堀井氏のこの本は読んでいない。


戦後の高度経済成長期を経て、バブル経済へと豊かで元気だった日本。まだまだ成長していける、坂の上の雲(@司馬遼太郎)まで登りつめようとばかり、貪欲に富を得ていったのだ。しかし終焉を迎えたとき、当然不況に入り、次第に虚無感が生み出していく。

一杯のかけそば』は、貧乏な一家がそば屋で、一杯のそばを家族で分け合って食べる。何年かして、一家の子供は医者や弁護士になって成長し、そば屋に行くという物語だ。

「貧しさは努力によって克服でき、貧乏生活はいずれ逆転できる」と信じられてきた時代に生まれた物語。これが中流社会への礎となり、後々「夢はかなう」というストーリーを我々に与え、実現に向けて奔走させた。しかしそれは単なる幻想に過ぎなかった。(後略)

先ず最初に引用した部分だけれど、これに限らず最近の戦後日本史の語りでは、「高度経済成長期」と「バブル経済」を直結させているようなストーリー展開を屡々見かけるのだけれど、実はその間に米ドルの変動相場制への移行(ニクソン・ショック)と第一次オイル・ショックに始まる1970年代から1980年代前半までの停滞期がある。特に1970年代は「不況」と「虚無感」の時代といってもよかったのでは? 勿論今と比べれば凄い円高円安なのだけれど、戦後ずっと\360に固定されていた米ドルが一挙に\300前後まで下がってしまったわけで、高度成長を支えた少なからぬ中小企業がそのために国際競争力を失って廃業を余儀なくされたということはあったし、当時はリストラという言葉はなかったけれど減量経営という言葉はあった。高度成長が終わって、気づいたら不況で、しかも公害問題は噴出。また、スタグフレーションだったので、不況でありながら消費者物価は上がり続けた。政治面では、1960年代の反体制運動が退潮し、一般的に政治意識が右傾化する一方で、内ゲバ戦争と爆弾テロが頻発した時代。イラン革命に端を発する第二次オイル・ショックを何とか乗り切ったことを契機にして、1980年代に入ると、日本経済は少しずつ恢復してくるのではあるが。しかし、高度経済成長期式の単純な大量生産=大量消費はもう通用しない。
さて、「バブル」。勿論、その当時金融業や不動産業の最前線で切った・張ったをやっていた人ならば別の感想を持つに違いない。先ず、「バブル」期の消費だけれど、「バブル」の効果というよりも、寧ろプラザ合意以後の〈円高差益〉の享受という面の方が大きかったのではないかと思う。何しろ、ワイン、スコッチ・ウィスキー、洋書、洋モク等の値段が軒並み下がり始めてしまったのだ。海外旅行熱もやはり円高差益の享受だった。それはともかくとして、「「貧しさは努力によって克服でき、貧乏生活はいずれ逆転できる」と信じられてきた時代」という表現に引っかかった。というのも、「バブル」の時代というのは「努力」によって豊かになるという物語が空洞化し、その信憑性が低下してしまった時代なのだ。今述べたように、この時代の充実した消費も自らの「努力」によって収入が増えたからではなく、円高のおかげで今まで馬鹿みたいに高かった舶来品が安くなったからだったわけだから。勿論、この時代に輩出した数多の〈土地成金〉にしても、偶々先祖代々所有していたり親から相続した土地が自分の与り知らない理由で値上がりした故だったので、そこには「努力」は介在しない。ちょっと出典は思い出せないのだけれど、この時代の或るアンケート調査で、成功のために重要なファクターとして「努力」よりも運とかコネを挙げる比率が高かったということもある。また、「バブル」の時代というのは〈オカルト〉塗れの時代でもあった。とはいっても、ライトなポップ・オカルティズム、占いや恋のおまじないが中心ではあったが。まあ、某都知事が嫌悪したらしい〈軽佻浮薄〉の時代ではあった*1。1990年代に入って、尾崎豊がより年長の世代によって持ち上げられたのは、〈浮ついた〉80年代に対する自己批判としての意味もあったように思う(その自己批判が正しいかどうかは別問題だが)*2。勿論、〈軽佻浮薄〉への自己嫌悪みたいなものはバブル期から存在した。例えば、〈軽佻浮薄〉な俗世を捨ててオウム真理教に入って真面目に修行したりとか。