『竜馬暗殺』

竜馬暗殺 [DVD]

竜馬暗殺 [DVD]

NHKのBSで、黒木和雄*1の『竜馬暗殺』を観る。
1974年の作品。坂本龍馬原田芳雄)と中岡慎太郎石橋蓮司)の人生の最後の3日間を描く。モノクロ・スタンダードのコントラストが強く粒子の粗い画面の印象が強い。この映画がカラーで撮られていたら、これほどの迫力を保つことができたかどうかはわからない。
この映画は以下の3つの層を描いているように思われる;


a建前
b建前以前
c建前以後


建前というのはこの場合、勤王だとか倒幕だとか佐幕だとかいった所謂表層的なイデオロギー。建前以前というのは性欲や食欲といった身体性に関わることであるとともに、他方では薩摩や長州や土佐が絡む権謀術数の世界でもある。権謀術数の世界というのは信頼性が極度に低下している世界と言い換えることもできる。坂本龍馬は幕府側だけでなく、建前の世界では仲間ということになっている薩摩藩からも狙われ、土佐藩内部からも粛清されようとしている。中岡慎太郎も右六(松田優作)も竜馬を暗殺しようとするが、どちらも竜馬と妙な共生関係を強いられてしまう。建前以後というのは建前或いは建前以前のことどもに対する懐疑。例えば、改革を成功させて幕府(権力)を倒したとしてもまた別の同じような権力に移行するだけなんじゃないかと懐疑する。
この映画には妙な閉塞感がある。先ずこれは映画のかなりの部分が竜馬の隠れている商家の土蔵の中で展開されること、その狭い閉鎖された空間で、原田芳雄石橋蓮司松田優作という身体性としての(匂いのレヴェルでのいってよい)存在感を充満させた役者たちがその空間=画面をはみ出しそうに感じるということと関係があるだろう。それだけではなく、上で挙げた坂本龍馬の懐疑、さらに映画自体の前提となっている相互の信頼性を低下させる権謀術数というのは、この映画が作られた1974年という時代と関係するだろう。すなわち、どこか〈ええじゃないか〉的な陽気で(或る意味無責任な)1960年代の反体制運動が衰退し、連合赤軍による〈同志殺し〉が発覚し、内ゲバ戦争が前面化した時代*2。映画に戻ると、土蔵の外では、町人たちが〈ええじゃないか〉に興じている。また、この映画では、通常の場面/説明のための字幕の画面という対立があり、後者では、例えば『子連れ狼』とそれをネタにしたカップ・ヌードルのCM(笑福亭仁鶴だっけ?)の流用といった、その当時のギャグを使ったりして、その閉塞感から何とか距離を取ろうとしている。
ところで、竜馬が隠れる土蔵は墓場の隣。これは死の換喩か。
脚本は清水邦夫松村禎三の音楽よし。