昭和のみつを?

茅野裕城子*1「どうしてそこにそれがあるのかわからない……武者小路実篤の絵皿と岡本太郎グッズ」https://joshi-spa.jp/plus/753136


曰く、


かつて、多くの家にあったけど、どうしてそこにそれがあるのかわからない器、というものがある。その筆頭にあげられるのは、なんといっても武者小路実篤の絵皿であろう。
「仲よき事は美しき哉」などの一連の野菜や花の絵が添えられた皿というものは、それほどに、一世を風靡したものであった。そもそも、絵皿というもの自体、なんのためにあるのかよくわからないということは別としても、うちには、これだけじゃなく、「天に星 地に花 人に愛」の大皿と、「仲よき」の五枚セットの小皿というものまであった。今もある。が、それらは、どんなお菓子にも、お料理にも合わなかった。お皿自体の自己主張が強すぎるからだろうか。
武者小路実篤は、ご存知の通り、『友情』や『真理先生』などで知られる白樺派の作家であり、宮崎に「美しき村」というコミューンを建設し、農業をしながら文筆活動を行っていた。これに、私財を投じたものの、さまざまな要因から村は移転、武者小路も離村した。その後、晩年になって、色紙や皿などに短いフレーズと、野菜や花などの絵を添えて、売り出した。それが、なぜだか知らないが予想外のヒットとなり、昭和の家の応接間のサイドボードの上などに飾られる定番アイテムとなったわけである。
 まあ、金子光晴は、ヨーロッパへ向かう途中、上海で魯迅に絵を買ってもらったお金で、旅を続けられたというし、作家が貧すれば、書や絵を売るということは、昔はよくあったのかもしれないが、武者小路の場合、どうも、ちょっと違い、いわば、キャラクター商品のように量産していく。はっきり言って、彼の小説をひとつも読んだことがなくても、絵皿の存在を覚えている人はいるとおもう。ある意味、「にんげんだもの」の相田みつをに通じるなにかを感じる。
かなり前に、昭和30年代後半というか、1960年代半ばに関連して、「武者小路実篤の南瓜の絵のお皿とか小鉢とかが溢れ返ったのもこの時代では?」と書いたことがある*2。茅野さんは「昭和の家の応接間のサイドボードの上などに飾られる定番アイテム」と書いているが、その「昭和」というのが1980年代或いは昭和60年代を含むのかどうかはわからない。実家にはなかったけれど、親戚の家や(複数の)近所の家で実篤の食器を見たことはある。但し、近所の家に上がり込んでいたというのは、私が小学生だった1960年代から70年代初めのことであり、実篤があった親戚も1970年代初めに静岡、後には名古屋に転勤して、東京に戻ってきたのは平成になってからだったからだ。因みに、「応接間」と「サイドボード」というのは「昭和の家」の或る種の階層性を表すマークではあった。
ところで、実篤グッズがどういう経緯で、或いは誰によって商品化され、製造され、流通されていたのかは知らない。平成になって、相田みつを*3がブレイクしたとき、〈平成の実篤〉か? と思ったこともあった。 相田みつをだって昭和のうちから活躍していたのだろうけど。また、実篤があくまでも「昭和の家」というプライヴェートな空間に止まっていたのに対して、みつをの場合は、居酒屋などの公共的な性格のある空間への進出が目立っていた気がする。また、さらに思い出したのだが、1990年代に相田みつをと同時並行的だった気もするのだけど、326というイラストレーターが一世を風靡したことがあった。326をけっこう年配の知識人に説明する際に、要するに現代の「武者小路実篤」ですよと言った記憶がある。
茅野裕城子さんのテクストの後半では、岡本太郎*4の関連グッズが言及されている。ウィスキーのノヴェルティだったグラスとか。ただ、太郎の食器、記事にも写真があるマグカップとかは、今でもミュージアム・ショップとかで売っているのでしょ? 茅野さんが「欲しくてたまらなかった」という抹茶茶碗は、私も実際に触ってみたい。