或る自分史の本

仲俣暁生*1「話題の本」『毎日新聞』2020年8月8日


雄大『異聞風土記 1975―2017』について。


インタビュアーとして多くの人物を取材してきた著者は、これまでに住んだり訪れたりした地で出会った人々の記憶を手がかりに、幼少時からの個人史・家族史を振り返っていく。本書の主題ともいえる「土地とそこで暮らした人たちの記憶の折り重なり」とは、いわば「記憶」する側とされる側の間に切り開かれる回路のことである。

「地べたを這う」ような生活から身を立てた父とは異なり、本を「ご本」と呼ぶような少年だった著者は、「阪神間モダニズム」とも呼ばれる中産階級分化の残滓のなかで不自由なく育った。だが青年期の海外旅行中に日本を見舞ったバブル崩壊で、居心地の良い繭を失う。その原風景が語られるのが第一章の神戸編だ。
身体と言葉の間のずれに対する繊細さが、本書の随所から感じられる。日本統治下の朝鮮から京都の洛外に流れ着いた祖父母の身振りがもつ意味に、遅まきながら気づく京都編、土地に染み付いた記憶を「ディープ」というカタカナ言葉で消費することに苛立ちを感じる大阪編を経て、東京での恋人との暮らしのなかで、その違和感は自分自身へも向かう。彼はそのようにして「書き手」となった。
さらに後半では、福岡、鹿児島、宮古島が舞台になるという。