「性暴力」に向き合う鷗外

成田龍一*1「軍医として赴いた戦地」『毎日新聞』2021年2月14日


森鷗外は軍医として、日清戦争、その後の「台湾征服戦争」、日露戦争に従軍している。日露戦争では、軍医としての公的な報告書以外に、『うた日記』という「奇妙」な本をものしている。


森林太郎の名前で、1907年に春陽堂から刊行された『うた日記』は、487ページ、目次も序文もない。「戦陣日記のかたちをとった詩歌集」として読み解く岡井隆*2森鷗外の「うた日記」』(2012年)は、「奇妙な本」という。5部構成で、新体詩(58)、訳詩(9)、長歌(9)、短歌(331)、俳句(168)とさまざまな形式の詩からなり、日付や地名が記されたものも少なくない(カッコ内はその数)。長歌反歌という形式が採用されるなど、「一人の小説家が構想した物語」(岡井)となっている。
成田氏は、日露戦争の「戦地となった中国人たちへの目線がある」ことに着目している。

とくに、性暴力を書き留めていることは注目に値する。〈罌粟、人糞〉(04年7月13日)は、兵士に強姦され自殺を図った中国人女性を、家族が発見した顛末が綴られる。戦地における性暴力が、鷗外によって記された。
『うた日記』以降;

だが、『うた日記』以降には、戦争を対象とする作品が提供されることを強調しておきたい。鷗外の戦争への態度が、公的/私的という二重にとどまらず、さらにもうひと段階の提供がなされ、三重構造になるということでもある。出来事のあとで、「まことの我」(『舞姫』)を弁明することと同様に、日露戦争後の社会で、戦争についてあらたな語りを見せた。『能久親王事蹟』(08年6月)では、台湾とそこでの衛生状況について語り、(小倉での体験を描いたとされる)「鶏」*3(09年8月)でも、現地の住民との反目が記される。
なかでも、「鼠坂」(12年4月)*4では、日露戦争の従軍記者が、戦地で強姦した中国人女性の幻影を見てショック死する出来事を描き、性暴力が告発的に再論される。男性の死亡の事実のみを伝える「平凡極まる記事」の背景に、強姦事件の存在を描き出す物語構造の手法は、戦争の記憶/戦争犯罪の告発の叙法として鮮やかである。だが、男性の戦場での性欲を問題化するなか、さきの「罌粟、人糞」では、加害者がどこの国の兵士か明示せず、「鼠坂」では記者としており、日本兵を名指しすることを寸止めしている。
関連して、黒川創「「衛生学」の二面性」(『毎日新聞』2021年4月11日)もマークしておく*5