換喩的差別

承前*1

朝日新聞』の記事;


新型肺炎対応の医師ら職場でバイ菌扱い 学会が抗議声明
新型肺炎コロナウイルス

瀬川茂子

2020年2月22日 15時26分


 日本災害医学会は22日、新型コロナウイルスに対応した医師や看護師らが職場内外で不当な扱いを受けているとして、抗議する声明を出した*2。「バイ菌」扱いするいじめを受けたり、現場で対応したことに謝罪を求められたりする例が相次いだと訴えている。

 この学会は、医師、看護師、救急隊員ら災害医療や防災に携わる個人・組織でつくる学会で、阪神・淡路大震災が起きた1995年に発足した。

 多くの医師や看護師らが、災害派遣医療チーム(DMAT)として、中国・武漢から政府のチャーター便で帰国した人や、横浜港でクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員への対応にあたった。声明では、こうした活動がなければ、より多くの人が重症化して命が失われた可能性があると指摘した。

 ところが、学会によれば、医師らが不当な扱いを受けるケースが続出。自分の身を危険にさらして活動したのに、職場で「バイ菌」扱いされたり、子どもの保育園・幼稚園から登園自粛を求められたりしているという。さらに、職場の上司から現場で活動したことに対する謝罪を求められた例もあった。当事者から「悲鳴に近い悲しい報告」が寄せられているとしている。

 学会はこうした行為を見過ごすことはできないとして、「もはや人権問題ととらえるべき事態であり、強く抗議するとともに改善を求めたい」とした。

 新型コロナウイルスをめぐっては、感染者を受け入れ、看護師が感染した相模原中央病院(相模原市)も今月、「職員やその子どもが、いわれのない差別的扱いを受けている」などと訴える書面を公表している。(瀬川茂子)
https://www.asahi.com/articles/ASN2Q52PHN2QPLZU001.html

語弊があるかも知れないけれど、「差別」の端緒ということではわかりやすい差別だろう。社会に対する脅威だと認識されているケガレを、常民ではなし得ないような能力を以て処置したが故に、そのケガレと換喩的に同一視されて差別されるということ。
ところで思ったのだけど、今回のコロナウィルス肺炎騒動の社会現象としての側面に関しては、象徴人類学的に考えた方がいいのかも知れない。例えば、隔離にしても、医学的と同時に、人類学的・象徴論的に考えるべきだろう。両義的なものは危険である。黄昏が逢魔が時*3として危険視されるのは、それが昼でもなければ夜でもない、昼であるとともに夜でもあるからだろう(See eg. 吉田禎吾『魔性の文化誌』)。両義的な移行期をやり過ごすための通過儀礼としての隔離。この問題に関する最良の参考書はファン・ヘネップの『通過儀礼*4
魔性の文化誌 (1976年) (研究社叢書)

魔性の文化誌 (1976年) (研究社叢書)

通過儀礼 (岩波文庫)

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